魚座的先生

先週末も高松へ行ってきました。(Eっちゃん、見てる〜?・笑)
私もですが、O先生も震災の影響で思考停止状態が続いていたといいます。
慰め合いつつ、しかし公演日は確実に迫ってきておる。
中止にはならんけん、がんばらないと。
先生の方も、ダンサーがいっぺんに揃わないので、揃う土・日は貴重。
私の受け持つ部分は終了しているので、私は私の持ち分を頑張るのみ。
ということで、先生はご自分の小作品を怒涛のごとく振付されてました。
私は別スタジオにて自分のパートの練習と自分の作品の振付を考えることに。
でも、日常とは切り離された「ダンス的空間」は実に貴重です。
おかげで新しく創らねばならない振付が(基本的には)終わりました。ヤッタ!
まだ通すには無理がありますし、もう一つ手前の部分も新しく振付せねば。
う〜ん、まだゴールは遠い…。
土曜日には一緒に衣装の生地を買いに行き、その道中で先生の作品への出演の
お誘いを受けましたが、それはさすがに丁寧にお断り申し上げました。
だって、私の作品も私のソロだし、先生の作品も私のパートはソロが多い。
この上、またしてもソロでは…飽きられる。というか独壇場のようで嫌だ。
それでなくてもみんなと踊りたいのが別口なのに(笑)
私のソロ作品を上演しないのであれば、それは踊りたかったですが。
そんな話もしつつ、先生の方の作品の音楽とコンセプトを聞かせていただく。
すっかり画が浮かんでくるようだなぁと思い、踊れないのが実に残念。
そして反射的に、これを踊れるダンサーみんなガンバレと思う。
だって、凄くいい曲なんだもの。特に第二曲目の部分。
上の階で練習していると先生が私を呼ぶので、何かと思うと
作品を観にきて、とおっしゃる。観て…別に意見を言うわけではないんですね?
ダンサーも振付されたてで、こなれていないので、その辺は8割引いて観る。
う〜ん、この世界観。重層感。いや〜踊りたいなぁ〜と思いつつ。
この作品を踊れるみんなが羨ましい。いい作品だもの。
透明さと、深い哀しみと。
でも心情だけでなく舞踊であることと。
みんな、がんばって心情を感じるまでに到達してほしいなぁ。
こんな作品とか、あるいは日常のイロイロとかを顧みての実感ですが
O先生は実に魚座である、と確信しましたね。
魚座はね、自分と他人との境界線があんまりないの。
自他の悲しみを一手に引き受ける星座であると石井さんは述べています。
自分と世界との境界線もないらしい。
身体全体が外に開かれているのだそうです。
全てを飲み込み、包み込んで、いっしょくたにするのだとか。思考的によ。
そうだからかどうなのかはわからないけれど、ある種の「ゆるさ」がある。
なんだかいろんなものがごっちゃになってて(部屋の話じゃありません)
これで間に合うのかとか、計画はどうなっているの?とか
そんなことはへのかっぱである、ようです。
そして、不思議なことに、いつの間にかちゃんと出来上がるんです。いつも。
O先生はそんな大海原のような方です。