広島旅行 原爆ドーム&資料館

桜がちらほらと咲き始めている川べりを散策しながら駅前まで歩く。
街が大きい。高い建物も多い。印象としては大阪の中之島とか北浜とかの感じだ。
でもこの川に、あの時はたくさんの人が飛び込んだのだろう、と思う。
このホテルは爆心地から約1.5キロというところらしい。爆風で吹き飛ばされたろう地。
当然のことながら、街はキレイでそんな面影も見受けられない。
そのことを知ろうとしなければ普通に大きな都市だと思うだろうな。
それでも嫌な感じがしない、と言ったら語弊があるかしら?
それはもうたくさんの人が一瞬にして亡くなってしまった悲しい土地だけれど
その後、祈りが沢山込められている場所でもあるので清らかだ。
もの悲しい思いを抱えつつ、せっかくだから路面電車に乗ろうということになった。
待っていると反対方向に来たのは、やれ懐かしや。京都の昔の市電やんか!

うわ〜!昔乗ったよなぁ。感動の再会(笑)
私たちは最新型の外国っぽい車両に乗り込んだ。
商店街を抜けると平和記念公園。道路もあるけれど歩行者天国となっている。
5分ほど歩くと、本や資料でしか見たことのなかったそれがそこに。

抜けるような青空に屹立するドーム。思っていたより大きくない。
外国人(アメリカ人ぽい)の集団が着物姿のガイドさんに説明を受けている。
彼らはこれを見てどう思うのかと考えてしまう。
シンパシーは普通にあるだろう。でもそれとナショナリズムはきっと別だ。
それはそれ、これはこれ、と思うのではないか。
…と思う私はどうなのか。自問自答してみる。
や、少なくとも痛みを肌で感じることができる気がする。地続き感はある。
そしてやはり資料などではなく、これを眼前に、現実に見ることができてよかった。
本物の持つ感覚はやはりあった。
石碑の祈祷場があって、そこで手を合わせていたら自然と涙があふれてきた。
花粉症対策にマスクとメガネをしていたが、もうダダ漏れ
痛かったでしょう。熱かったでしょう。苦しかったでしょう。生きたかったでしょう。
佐々木禎子さん所以の像にも手を合わせてきたよ。

その後は真夏の朝、いつもTVで見るところ『過ちは繰り返しませんから』を過ぎ

原爆資料館へとたどり着く。入館料、子どもは無料、大人はわずか50円。
ここにも外国人の姿が多い。
ツアーに組み込まれているのだろうけれど殊勝な心がけである。(オマエ何様)
嫌ならそんなツアーすら無視するだろうからね。ありがとう、来てくれて。
資料館内は非常に整理されている。資料館と言うだけあってパネルに文字が満載。
そして中央にはジオラマ。原爆投下前の市街地と投下後の市街地を見比べるシステム。
ひしめき合っていた家々はまるでキャタピラで均したように何もない。
たかがジオラマだけれど、この家には当然家族が住んでいたのだ。
そして、まことに不勉強で申し訳なかったが、強制連行されていた外国人も沢山
犠牲になったことを初めて知った。犠牲者は日本人だけじゃなかったんだね。
あと、原爆投下の地がどうして広島になったかも。
それは当日たまたま天気が悪くて、と言うのは知っていたが、候補地として
わりに最後まで京都が残っていたことを知らなかった。
京都、新潟、小倉、広島。最優先は京都だったらしい。長崎は第二候補地だった。
その京都が取り除かれたことには諸説あるようだが、文化的遺産がたくさんある
京都を徹底的に破壊することによって、戦後、米国の支配下に日本を置くときに
国民的反感が免れないだろうというのが一番の理由とか。
そうか、もしかしたら私は生まれていなかったかもしれないのだな、と思う。
生きていることは奇跡だと常々感じているが、やっぱりね。命はこんなに脆い。
一体、人間とは何か。