将来像

スタジオの代表Kちゃんが話があるというので時間を合わせて会うことにした。
この秋にスタジオが10周年を迎えるにあたり記念の発表会をやるというので
それについてのあれこれ。これで実質二度目の話し合い。
日と会場は決定しているので次は内容を決めねばならない。
前回はとっかかりとなる意見を出し合い、まずはKちゃんが何をしたいか。
少しばかり決まりかかっていたことに変化が生じたようなので
報告と相談があるという事だった。聞くところ別段問題はないように思ったので
更に意見を出し合い、その方向を元にプログラムを練って行くことにする。
スタジオもこの10年で進展した。
オープンの前、私は当時まだ復帰して踊る気はなく、単にKちゃんを
手伝うだけの気でいたのだけれど、成り行き上オープンの後の発表会で
舞台制作を初めて手がけることになった。Kちゃんの無茶ブリ炸裂である。
それはオープン時であった為やれたことでもあった。無茶ブリだったけどね。
その後わたしは再び踊ることを選択し、自身の創作と舞台活動を始める上で
イワークスというユニットまで作ってしまった。
Kちゃんは、もちろん賛成してくれたし、応援もしてくれている。
けれど、私は勝手なことをしたなぁと少しばかり申し訳ない気でいるのだ。
はっきり言ってうっちゃらかしたわけだしね。
「あの時に簡単にやってって言ったのは無茶やったなぁ」と
今更ながらKちゃんは笑って回顧していたけれど、私の方はあれのおかげで
振付をすること、舞台を制作すること、裏方のこと実地勉強したようなもの。
全て自分には無理だと思っていたことばかりだったんだもの。
Kちゃんは私がワタナベの出身であることから「できるやろ」と思ってたけど
私はダンサーだったのだよ。踊るのみだったんだよ。無茶ブリ(3回目)や。
もちろん、いろんな経験はさせてもらっていたのではあるが、
こと舞台制作に関しては無経験だ。やってたのは雑用だけ。
いわゆる門前の小僧だ。
しかし、Kちゃんはその門前の小僧ぶりを私より認識していたみたい。
意外にそういうことってありがちなんだろうなと思ったりする。
本人より周りの方がその人のことをわかってるってこと。
で、先週のレッスン後いつものようにAちゃんとガストに行った。
そこでAちゃんから衝撃の勧告。
「センセ、子供教え!」…はい?「よぅ考えて!」…は、はい。
これまた思ってもみない方向性である。私には無茶ブリに等しい。
10年目にしての再び、か?
天命と天職は違うらしいってことはよく聞くけれども。
現在いろいろと考え中である。