葬式について

月曜日、珍しく朝早くから隣の家が起きているな〜と思っていたら
(隣は散髪屋なので月曜は定休日です)これまた朝早くに隣人がウチに来た。
聞き耳を立てているとR恵さん(奥さん)のお母さまが亡くなられたらしく。
でも葬儀は身内だけで済ませるから、という連絡だった。
先月あたりにも、おばあちゃんの友人の中でいきなり亡くなった方がいて
でも家族とは疎遠だったこともあり、葬儀は知らないうちに内々で済ませたと
報告だけ受けたおばあちゃんの嘆きときたら…。今回も同じ。
まぁ、即日に知らせてくれているのだからずいぶんマシではあるのだけれど。
おばあちゃんが言うには「こっちかてお別れしたい」と。そうよね。
たしかに残された家族としては両親の友人関係がどのあたりまで広がっているか
というのは把握していないことが多いでしょう。
煩わしいというホンネもあると思う。
費用が大変と言うのもあるだろうし、どの辺りまで呼ぶかという選定も難しい。
でも少なからず親しいと思っていた側にはショックなことですよね。
先日観た映画の「エンディングノート」でもこの辺りのことに触れています。
映画では…映画と言ってもドキュメンタリーなので本当の事ですが
自分の死期が分かっているお父さんが、余命を告げられた時から自分の葬式の
ダンドリまでを書いた覚書きのようなもの、まさにエンディングノート
せっせと作られていました。
どこでやるか、どれくらいの規模でやるか、誰を呼ぶか。
こんなお父さんなら楽だよね〜。裏返せば「ワシの人生はワシが決めるんじゃ」
という、ちょっと困った感じも無きにしも非ずなところがあるのでしょうが
(つまり自分で全てを決めて仕切りたいダンドリ屋ということで)
日々、ダンドリ命のことをしているワタクシなどは苦笑しながらも共感したので
ございます。任せておけないのではない。人を信用しないのではない。
バタバタとして取りこぼし、後で後悔するのが嫌なんですよ、きっと。
そして自分の納得いくものにしたいと思えば、全て自分で考え段どるしかない。
何より自分の人生の仕上げですからね。
死後はどうしたって誰かにやって貰わねばならないことなんだもの。
その人の負荷を最小限にしたいとは考えるよなぁ〜。
けれどもそこまでのことをしていない人は多いんだろうなぁ、とも思います。
そろそろかも?と思うようになったら出来るだけ自分で締めくくりを考えて
おきたいな、と、またしてもそんなことを思うのでした。
それに葬式は亡くなった側の為にあるのではない、ということも肝に銘じて。