お芝居を観て

月曜日の祝日に大阪まで芝居を観に行きました。ムスメ同伴で。
ビワコでご一緒したひめさん(日詰千栄さん)が出演されるというので。
それとそこの主催の舞台に興味があったので一度観ておきたかったのでした。
石原正一ショー「ハリーポタ子」ネーミングからして笑えるし。
発表会では公演とはまったく正反対の世界でやるB面(と呼ぶ)世界と
相通じるものがありそうなネーミングセンスじゃありませんか。
それに、ここの芝居には知り合いの役者さんが客演されることも多いのです。
しかして、その実態は。
まず「つかみ」ですが、主宰の石原正一さん自らが物販を宣伝。うまい。
制作の方と一緒に出られているので、なんだかミニ漫才の趣き。
ところどころにこれから観る芝居の輪郭に触れ、否が応でも期待は高まる。
それに口調がうまいので(まるでバナナ売りのような)思わず買っちゃう?と
いう気にさせられる事自体、すっかり乗せられている証拠。
一転して本編が始まるや否や息をもつかせぬスピード感。
しかし、ところどころに笑いのネタが仕込まれているので緊迫感の中にも
これから始まる芝居で「きっとドカンドカン笑わせてくれるんやろうなぁ」と
いう期待が高まる。高まってばっかりや。そして芝居はどんどん進んでいく…。
まだ今日から東京公演が始まるので詳しい内容には触れられませんが
とても面白かったです。マエフリ通りの笑いの畳み掛けでした。
それも大ネタから小ネタまで実に多彩に微妙なツボを突っ込まれます。
しかし、私にとっては問題がありました。
そのタイトル通り、魔法学校を出たポタ子を中心に「魔女」というくくりの
役柄がい〜〜〜〜っぱい出てきますが、それってほとんどがアニメ、又は漫画。
半分以上わから〜〜〜ん!ちょっとオタッキーな香り漂うネタ満載。
だからでんでんタウンでやったわけ?と穿って見てしまうくらいです。
ドカンドカン笑っていたのは男性が多かったです。うぅ。
いや、半分は女性客でしたし、うちの娘もわからんなりに大笑いでした。
でもそれはネタに対して笑っていたり、キャラそのものが面白かったりの部分。
きっとほとんどが娘には理解できないキャラクターだったでしょう。
70年代中心ネタですもん。というか、私にも半分以上は理解不能のネタ。
名前だけは知ってる、くらいのものから存在自体を知らないものもありました。
かといって、それを知らなければ観られないかというと、もちろんそんなことは
ないです。ないですが、深い笑いにはつながらない感じがしました。残念。
だから、その世界に精通している人とかにはたまらん部分があるだろうなぁと
少しおいてきぼり感というか、アウェーな感じと言うか。
ま、そんな深刻ではない。でも、自分の来し方に思いを馳せると実に複雑です。
私って小さい時に何して過ごしてたんやろう、と思うわけです。
同世代が「当然知っている」ような話を知らなかったり、が多い。多すぎる。
本を読んでいたからというと聞こえはよいのですが、果たしてそうか?
なんだか記憶があいまいで、空白だらけです。寒すぎる。
単に記憶力が悪いのか、他の原因があるのか、興味が薄い子供だったのか。
最近やたら推奨されている「早寝、早起き、朝ごはん」をしてこなかったから?
う〜ん、それは一理あるかもしれない。なんだか子供の頃の記憶が薄いんです。
トピックスはあるけれど、すごく断片的で。
だから観ていたはずのアニメや漫画もほとんど覚えていない始末。
たくさん読んできたはずの本だって怪しいもんです。
私、ちゃんと生きてたのかしら?ととても不安になります。
しかし反対に、こんな私でも生きてるよ、とも言えますね。楽観的にも。
私は熱くなるものが中学校の時のクラブだったり、やはり踊ることだったりと
どうもフィジカルなタイプのようなのですが、今現在はそれを追いかけるように
思考の面白さに目覚めました。今かよ、って感じですが。
話が逸れましたが、芝居を観て感じることは、そのものの事ばかりでなく
やはりこうやって自分のことや時代のことも派生して考えることにも繋がるので
まずは体験しなきゃな、って改めて思いますねぇ。
オフの間にイロイロたくさん観ておこう。
観ること、感じること、考えること。実感。手触り。記憶。想像。
転じて自分が創るものもそういう風に刺激を与えるものでありたいと思います。
でも、笑いの中のシリアスは難しいね。
いろんなことが勉強になりました。ありがとうございました、ひめさん。