初日本番(公演後記その4)

開演30分前、開場。実は長年の舞台生活でこうやって受付をするのは初めて。
もちろん裏方を手伝うことは多々あったし、受付周辺の用意もするのだが
こうして会場に入ってくるお客様の顔を見る距離にいるのは実に初めての経験。
いや〜、なかなか楽しいもんですね。当然ながら私関係のお客様もおられるので
なんだか同窓会に近いような感覚。それにダンス界狭し、というのも見え。
意外な人と人が知り合いだったことが発覚するのを眺めているのも楽しい。
さて、ダンサーの首尾はどうでしょうか?緊張マックスかなぁ?
ゲネでは足元が危なかったなぁ〜。リノに足が引っかかっている人多数。
まぁ本番やっていけばみんなの汗やらなんやらがポタポタ落ちてエエ具合に
なるのでしょうからあんまり心配はしていないけど。上手くやってくれ。
そう、この本番というもの。
いくら最良の条件が揃っていたとて上手く行くとも限らないし、逆も然り。
まぁ、踊る限りは足元は滑るよりは滑らない方がいい、くらいのもので。
滑ったらどうしようもないものね。幸運を祈る。
祈るといえばいろんなキッカケもそう。ここは空気を読んで動いてほしい。
できるだけ約束事に則って行われる方がいいことだけど、人間だもの。
本番になるとどうなるかわからないのはお互い様ですし。
このあたり性格が頑なだとちょっと難しいことばかり。柔軟にいきましょ。
そんなことあんなこと、手出しができないのは私も同じ。変に緊張する。
緊張するが、これはもうどうしようもない。あとは各々を信頼し任せるのみだ。
いざとなってアクシデントが起きたなら私が出張ればいいこと。それだけ。
金曜日の夜なので遅れてくる人が多数いることを予測して5分押し。
7時始まりなので、終演時間を考えると10分は押せない。19時5分開演。
作品「F」はfamilyの頭文字をとったもの。
それぞれのダンサーの人生での別れが重なる。
もちろん事実とは異なる部分もあるけれど、概ねは事実に沿った作りである。
とはいえ、小説でも芝居でもないので、事実と言うのは彼女らの心情において
という意味ですが。ソコソコの年齢の方々ですから、そりゃイロイロあるのよ。
プロローグは3人の別れの心象風景(記憶)から始まる。
ひたすらバイバイを繰り返す3人。出した手を躊躇し引っ込めるしぐさ。
これは実はこの公演の作品を通して全体にかけられたシークエンスでもある。
謎解き、というほどのものではない。私の中のこだわりである。
そのうちにそれぞれのダンサーのソロが始まる。
45分の作品のうち、一人一人のソロの場面は8分くらいか。これも実験の一環。
長年ダンスを続けている人達に空間全てを一人で背負う体験をして欲しかった。
それにしては3分くらいで終わってしまう単発の作品でなく、いきなりのコレは
なかなかハードルは高かったかもなぁ…とは今になって初めて(!)思う。
でも、長く練習しただけあって本番だからと言って異常に気負うこともなく
やっているよう…にも一応は見えた。さて、本人達はどうだったんでしょうか?
差し出した手は繋がれないまま暗転。拍手はおこらない。
わかる、わかる、これって拍手しにくいのよ。幕もないし。
終わりかどうかがはっきりとわかる明確な終わり方じゃないからね。
でもなんだか練習の時みたいで、かえって気にならないですむ気がしたのは
私だけかしら?拍手があること自体想定していなかったというべきか。
うん、負け惜しみじゃありませんよ。
続いて「それでも僕らは空を見る」長いタイトルだこと。通称ボクソラです。
「F」は個人的な体験を基にしたノンフィクションダンスであり、実に重く
暗いです。ある一定の年齢を重ねたり、それなりの体験をしている人でないと
理解しにくい作品だと思う。それは分かっていてあえて挑戦してみました。
だから、ここは一転。明るくコミカルに。…一曲目だけだけどね。
囚人のような、制服のような衣装をまとう若者たち。
ハイジに出てくるロッテンマイヤーさんを彷彿とさせる高飛車な態度の先生。
閉塞された空間、表面上のお付き合い、表面的な仲間意識。
やがてロッテンマイヤーさんがいなくなると状況は一変。バラバラになる子達。
一人一人の空間のなかで思い思いに過ごす時間。
けれど、それがいき過ぎると、それは他人を排除していく行為につながる。
どちらが悪いのでもない。積極的な(?)イジメというものでもない。
ただ単に「上手く繋がれない」のだ。
誰もが上手く繋がれないまま、孤立してしまう。でも繋ぎたい、という想い。
この作品も中空に差し出された手が繋がれたかどうか分からないまま終わる。
ここで休憩のアナウンスが入り、やっと(?)拍手。
すみませんね、拍手しづらいタイミングで。
休憩をはさみ「レクイエム2」
この作品は発表会での「レクイエム」の流れを引き継いでいる。
「9.11の時期に合わせてレクイエムを観たい」とおっしゃったお客様の声を
聞き、それならと計画したのですが、前回の作品は大人数、大きな額面舞台用
に創ったものだったので、リニューアルさせるには難しかった。
だから今回はまったく一からの創作となりました。
制作中に3.11があり、一度作品がガタガタと崩れましたっけねぇ。
自分の中でのメッセージにブレがでちゃったんですねぇ。
当初、レクイエム2は最終場面でもう少し宙に浮かせる予定でした。
ですが、3.11を経験して、実際のところ、この時期に一番大切なものは
精神的なポリシーや目標や哲学ではなく、人間力とでもいうべきものではないか
と、そう思うに至ったのです。理想論より現実論とでもいうべきか。
そして「忘れない」こと。その表明。
そう、私はこの作品を通して9.11や3.11を決して忘れないという自分自身への
約束事として創作したのかもしれないなぁという気がしています。
そして最終的な帰結、決着ポイントとして「手」のつながりを重要視しました。
これは「F」「ボクソラ」を通しての最終結論でもあります。
差し出された手を自分はどうしてきたか。
助けてと差し出された手を自分はどうしたいか。どうするのか。
いろんな自問自答を含み、この作品に託してみました。
最終の場面ではダンサーが客席に行き、お客様と手を繋ぎ、ハグします。
これは「おつかれさ〜ん」でもなく「来てくれてありがとう」でもなく。
いや、もちろんそれらを含んでも構わないのですが、演出としては
「お客様に実感してもらいたかった」のですね。手のぬくもりそのものを。
その実、これはリハーサルでは全く練習のできないところでした。
だって握手する相手がいないからね。本番までお客さんは入らないし。
けれど、この本番で雰囲気を見ていて、まぁアリかなと。
演出としてはあざといかなぁと心配していましたけれど、そうでもなかった。
舞台と客の結界がほどけ、客席のみなさんも笑顔がはじけ、もちろんそうでない
方も中にはいらっしゃったかもしれませんが、8割は成功かな?
もしも私が観客だったら「あざといんじゃ」って思っていたかしら(笑)
この部分、ダンサーはどういう気持ちでやっていたのか聞いてみたいところ。
できるだけ「わー」とか「きゃー」にならないようにとイズミからも釘を
さされていましたけれど、実際は知り合いが目の前にいたらどうしてもねぇ。
そんなこんなで一日目は無事に終了しました。