息をつぐ

私も齢46となりまして、このところやっと楽に息ができるようになりました。
水泳の話じゃないです。生き方というか、生活の仕方というか。
17の時に母を亡くしてから「人間は(いきなり)死ぬ」ことを目の当たりにし
「ほな、やりたいことをやらな!」と開眼したわけですが
やりたいことをやれる状況であったことも大きかったのだと思い至ります。
その時は後先考えず、もうすでにダンサーを目指していたわけですから
一応、高校を卒業して就職はしてみたものの、片足以上はダンスの世界に
どっぷりとはまり込んでいましたし、また渡辺先生との出会いも大きかったと
思います。一生懸命やってた私をすぐに引き上げて下さいましたから。
将来の保証などどこにもない、ことさえ、その時には何の考えもなしに
とりあえず飛び込む。アカンかったらアカンかったときのこと、と。
半ば家出のような形で、今となってはどうやって暮らしていたか
どうやって食べていたかすら思い出せないくらい身も心もダンス一色。
…いや、違う。嘘つきました。ごめんなさい。
それなりに息抜きし、やりたいこともやってましたし、サボったりもしました。
それでもやはり根本は踊りが好きなんだと思います。
しかし、あまりにも忙しかった。自分を耕す暇と体力がなかった。
好きで始めたことなのに追い詰められました。
でも好きで始めたから、どこにも言うていくとこがない、と思い込んでました。
追い詰めていたのは他ならぬ自分自身だったのかもしれません。
あの時は、好きなことが嫌いなことになり、期待は重圧であり逃避の対象。
このあたりは先の作品「OWN〜ありのままで〜」で表現した通りです。
大げさかもしれませんが、決死の覚悟でやめる方向にもっていきました。
「レイなんかいないほうがいい」と思われる方向へ。
周りに迷惑をかけることで「自分をその場に居づらくする」という方法。
なりふり構わず…ある種、結婚と言うマジックをも使ったことで
いろんな方々に心配をかけ、また残念な思いをさせて、それでも自分をとった。
この前も書きましたが「自分が自分でいるために」仕方のないことだったんだと
今では堂々と謝ることもでき、また堂々と主張も出来る気がします。
この結婚というのも今の「楽に息ができている」ことに貢献してくれています。
私の相手は、ごく普通の価値観の家庭で育った人ですから、生まれてこの方、
どちらかというと「普通でない」ことばかりに囲まれてた私は、
初めて「普通」という中庸の快さ、心地良さ、優しさを感じたのでした。
そして今では半分以上主婦の傍ら、創造に携わる仕事(趣味?)が出来て
本当に恵まれているなぁと感謝しています。なかなか態度には出ませんが(笑)
主婦としての顔、母としての顔、嫁としての顔…妻はあまり出番なし。
そして、ダンサーであり創造者としての顔。
幾つもの顔があり、それぞれにコミュニティがあります。
そのことがまたバランス感覚や社会的感覚に繋がっている気もし
わずらわしいこともありますが、頭を切り替える大事な要素でもあるな、と。
一つのことに命をかけている、または専門的であることも凄い魅力ですが
こうやって多面的ないっちょがみ生活もなかなか悪くない。
おおげさですが「生きてる〜」と感じます。
死ぬ時までは生きていたい。できれば自分の意志を持って。
こんなこと今になって言えるのも、年齢も大いにあるでしょうが
あの時「自分」を選んだからだと思っています。
人生には何度かギリギリの選択を迫られる時があるようです。
だからワカモノよ。その時に備えて。自分を見つめて。見失わずに。