見えてくるもの

先日のリハ終了後、内見に来られていたサポーターのH氏とイズミと私とで
帰りに食事がてら意見を取り交わしあうため居酒屋に。(なんで居酒屋)
軽く飲みながら食べながらアレコレしゃべっていたわけですが
アルコールも程よく回ってきたころ、イズミさんが突如として吠える。
「あ〜〜〜っ!なんで私は踊れへんのや〜っ」
そしてH氏に絡む「Hさんかて踊れへんやろ!」
H氏、思わず笑いをかみ殺した顔で「踊れません」
イズミさんはレイワークスにおけるアドバイザーであります。
今回は私が出演しないので彼女は演出補佐ということになっていますが
私が踊る時には(私自身は客観できないので)演出になってもらっています。
ですから月一の合同リハの時には顔をだし、まぁいわば「翻訳」?
アケミちゃん曰く私の言ってることは難しい(理解しにくい)ので
分かりやすく説明してもらう為にイズミさんの力が必要なんですって。ぷんだ。
それはいいとして。
確かに彼女の物を捉える眼はしっかりしていると思います。H氏も然り。
大体がまだちゃんとして筋が通っていなくとも、私がやりたい方向が概ね
分かるようでして。感心させられることもしばしばです。
でも実はちょっとばかし疑念をもたなくはないのですけれども。
このお二方、私と同じフィールドに立っているからではないか?と。
いや、失礼。
つまり同じような感性だから理解しやすいのではないか、と思うわけです。
でも付き合っていくうち、それはそうでもないんだと思うようになりました。
全てが共通しているわけではありません。
しかしながら、私の創る作品において二人は的を外したことがない。
え?私が分かりやすいの?…そうかもしれませんが。(話はわかりにくいのに)
まぁ、そんなお二人(特にイズミさん)はリハを観ていると想像=創造が
膨らんでくるらしいです。そして、もちろん私がやりたいと思っていることも。
しかし、目の前で繰り広げられている情景が満足いくものではない時
先のような吠える気持ちになるということらしい。
ダンサー達、ガンバレ(笑)
まぁしかし、ダンサー出身として言わせてもらえば、なかなか渦中にあると
解りにくいもんなんですよね〜。目の前のイッコイッコの振付で必死だし。
振付においての取捨選択はダンサーにとって、この上なく難しいのね。
観てるだけならなんぼでも言えるのは世の必定でごじゃりまする。
けれども、その上でもあえて言わせていただくならば、ダンサーガンバレと。
振付の一つ一つに、ステップの一つ一つに意味はないことが多い。
そこに意味を持たせるのがダンサーの仕事です。
それをしなければ存在価値などないに等しいと言っていいほどに。
作品の読み込みを。振付の、音楽の読み込みを。背景の想像を。
作者を超えるくらいの深読みをしてこそ生まれるものがある。
少なくともダンサーとはそうあるべき、と信じています。
ていうかさ、そうでないと踊ってる時、気持ち悪くね?と
私などはそう思うわけでして。
きっと私はそれでパンクしたんだけどね(笑)
与えられるばかりでなく、自分から生み出してこそ楽しいのですよ。
ダンサーだって創造者だからね。すごくすごく期待しています。