祈る姿

筋トレの石井さんところに掲載されていたのを流用します。
http://www.47news.jp/photo/170726.php
祈りって言うのは、間違いなく自分以外の人のためにあるものだと思う。

来年度の発表会に向けて創っている作品の中に「prayers」というものがあり
技術的なものはさておき、心構えとしては「祈ること」を中心において踊って
くださいと、ちょうど先週、出演者の方々にお願いしたばかりでした。
祈るっていう行為自体に「自分」は入り込みませんよね。
自分が幸せでいたい、とか、健康でいさせてください、とか。
これらは私には「カミサマへのお願い」としか考えられません。
もちろん、それをお願いすることが悪いこととも思いませんが、
「祈り」というものとは分けて考えてしまいます。
祈りは純粋に「自分以外のため」にあるものだという気がします。

無事を祈る、平安を祈る、健康を祈る・・・etc。
それは隣の人でも、遠くの人でも、犬でも、猫でも、花でも、木でも。

全ての命は尊い。
祈りも尊いけれど、祈ることしか出来ない(自分の)無力さも同時に感じます。

でも、この姿には打たれました。