思い出探し隊

関西では桜のつぼみが膨らみ、少し咲き始めているところもあります。
かの地では、未だに天気予報が雪マークの日もたくさんある。
そんな中、ガレキの除去が始まってしまう前にと、アルバムや位牌などを
掘り出しては、初めは道端に置いたりしていた方が中心となり、ボランティアで
そういったものを見つけている方々が居るそうですね。
そして被災された方も、家を、または身近な人をなくしてしまったよりどころは
もはや、そういった痕跡のみであるということです。
だから今でも探し続けている方が多いそうです。
そんな報道を見聞きして、身近な二人の女性を思い出していました。
ひとりは若い頃、家が2度も火事になってしまった女性。
もう一人は、阪神の大震災で生き埋めになった女性です。
ふたりとも一度は全てを失ってしまったのでしたが、力強く生きています。
「な〜んにもなくなってしまった」と話してくれた時のことが蘇ります。
それも笑いながら。それも二人とも。(もちろん同時期ではありませんが)
聞いたこちらはどういう顔をしていいのかわからず・・・。
曖昧に「大変だったね」としか言えなかった覚えがあります。
二人とも踊る人でした。
ひとりはもう踊りはやめてしまったもののNYに暮らしています。
あの911のときに数回連絡を取り合ったままですが、遠くからも今回のことに
心を痛めているだろうと思います。
もう一人は私の周辺ではご存知の方も多いと思います。バリバリ踊ってます。
彼女もまた今回のことは他人事とは思えないだろうと。
過去のことがフラッシュバックしてはいないだろうかと心配になります。
そんな二人の友人が共通して悔しがっていたのは、やはり、今までの自分の軌跡
を示すものが手元に残っていないことでした。
よく言われていることですが、人間だれしも死ぬときには何も持って行けない。
だからこそ魂の豊かさや、人生で感じたさまざまな豊かな感情が一番の財産
なんですよって。
それはそうだろうね。そうだろうけどね。
死ぬのが自分ならば、それでいいだろうけどね。
思い出っていうのは「残されたもの」が必要とするもんなんだなぁって
報道を通じて改めて思わせていただいたのでした。
またしても「生と死」についてぐるぐると考えている日々です。
アカン。踊り考えな。
早くかの地にも桜が咲きますように。暖かい日差しが注ぎますように。
・・・でも今は、その営みでさえ残酷に感じるね。