面倒くさい女

先日、友人たちとLINEをしていてたわいもないことだが感じた違和感があった。
その正体がわからなくて、でもなんだかもやもやっとして。
それは、友人が旅行に行っているという話が発端で、それぞれがドコドコへ行く
または行きたいわ〜というような話だったのだが、わたしが「もやっ」としたのが
「女子は(旅の目的は)やっぱり(女同士の)おしゃべりと食べ物よね〜」
う、うん。そういうときもあるね。でも…そうじゃないこともあるよね…とは
思ったが無理やり話の腰を折るのもどうかと思ったので特にそれには触れずにいた。
どうなんですか?そうなんですか?特に異論はないけれども…なんか違う気がするな。
あっこれ、もしかして、また「私だけ?」現象かな、と思ったのである。
そういうこと、よくあるので。えぇ、マイノリティなのは自覚しておりますので。
でも、このなんだか腑に落ちない感覚が自分でもよくわからずに、そんなことで
引っかかること自体どうなん?と思ったりもしたのであった。
ま、ええか。と思ってから数日。
この日は発表会が週末にあるため甲南にレッスンをしに行く途中、時間があるので
食事がてらショッピングモールに入り、その後ふらっと本屋に立ち寄る。
文庫を眺め、単行本を眺め、そのまま奥のフロアへ。専門書が並んでいる。
民俗学や近代史など食指の動くのをなだめつつ見ていくと哲学書のコーナーがあった。
私の好きな池田さんの本も並んでいる。でもなぁ、全部持ってるしなぁと思いつつ
ぱらぱらめくると、そこには思わず膝打ちの記述が。
知識人という言葉が死語にならないのは何故か、という考察の中にあった
世間が十把一からげにしてしまうようなことへの疑問と提言と嫌悪感が記されていた。
「これだ!」と。もやっとしたことの正体はこれだったんだ。
女が全ておしゃべり好きとは限らないし、旅行で食事が目的でもない。
もっといろんな形での、それも個人的なものをまとめられたことへの違和感。
それをこうしてスカッと言葉にできてしまう池田さんのステキさ。
かゆいところにようやく手が届いてすっきりしたと同時に、こんなことすら自分で
見極められない自分のアホさに呆れ、またこんなどうでもいいようなことを考えている
私って…面倒くさいやっちゃなぁ、と思った次第。