踊りを続ける意味

久しぶりに体力限界〜と思っていましたが持ち直したようです。よかった。
今週から少しずつ涼しくなっていくらしいのでヤレヤレですな。
大概もう懲りているはずなのに、実は頭の中では次の事、次々の事などが
浮かんではちょびっとずつ蓄積されているようです。
自分に戒めなきゃいけないのは「アイデア」に固執しないこと。
まだまだ柔軟に色々と考えていきたい。自分に固執しないように。
とはいえ、そんなものたちは一過性で、いまは9月の公演が最重要事項。
びわ湖もありますが、こちらでは船員の一名として自分の仕事をやるだけ。
9月の公演は船頭役ですもの。がんばらなくっちゃ。
今度の公演では「いつも」のメンバーに加え、若い衆も出演しておりますが
この子らってちょうど人生的にも大きな岐路にいたりする子たちです。
年齢が20歳前後ですからね。
就職、進学などで一時的にダンスとのバランスを考える時期になっています。
だから次(2012年4月)の発表会の出演を見合わせたいという子も出てきました。
そりゃ、そういうことはあるわ。これからいっぱいね。
身の回りの状況と言うのは平家物語でなくとも日々刻々と変わっていくもので
それでも変わらない「好き」という気持ちさえあれば長く続けていけるはずと
私自身は本人たちよりも楽観しています。
変わっていくことを恐れずに。その連続こそが人生だと思うから。
だから良いことも続かなければ悪いことも続かない。
そんなもんじゃないでしょうか。
ただ一つ言えることは「踊り」と言うものが何かしら自分を支えてくれる
そんな時があったり、そんな状況があったり…それらを必ず経験します。
私自身も紆余曲折あって今がありますけれども、やはり踊りと言うものが
自分を助けてくれる、また逃避場所でもあるが故、精神を安定させてくれる
重要なものであるという認識がますます大きくなっています。
踊る時のときめき、昂揚感、緊張、また苦しみ。
そのどれもが多分お金では買えない「なにものか」なのだと思っています。
きっと死んでいくときの財産はこれだと思っているのですが。
そこには個的な感情だけでなく人との交流や絆というものも含まれますね。
もちろん聖人君子でないので断絶や後悔も満載ですけれども…。
そうそう、しばらく前から「赦し」というものをテーマに考えているのですが。
いつかそれをまたテーマに作品を創ってみたいな〜と思っています。
今回のテーマは「compassion」普通(?)だと「慈愛」と訳されますが
私としてはpassion(パッシオン)ありきのcompassionですから。
例えばその先にある「赦し」というものをどのように考えるか、というのが
目下の脳内テーマだったりします。
今回の作品の中でも「レクイエム2」は難しかったです。
手法としてはこれ以上ないくらい分かりやすい作品に仕上がっていますが
創作した側としては「これでいいのか」「甘くないか」「伝わるか」が
とにかくもう心配なのですが。
京都新聞の朝刊に連載されているコラムなどの文章や記事を読んでいると
どうやら外れてはいないようで、つい今朝がたもホッとしたところです。
例えば被害者感情のようなものをどこまで汲めているのか、とか。
高飛車な発想になっていないか、とか。一方的でないか、とか。
甘いのは承知の上ですが、シンプルな考え方だとこうなる…みたいな。
いや、ボキャ貧の言い訳です。すいません。
こういった風に普段の自分の思想みたいなものを踊りを使って伝えたいという
そんな想いで最近はここにいます。
もちろんダンサーとして踊ることもすごく好きなのですが、創作するとなると
やはり訴えたいこと、があるということなんでしょうねぇ。
普段はノンポリやと自分で思っているのですが。
それって、きっと自分で思っているだけですね。
しかし図らずも東日本大震災が起こったことで「つながり」というものの
重要性を改めて感じることとなりましたので、結果的にはイケてたかなと。
このように作者は日々小心に弱気で毎日を過ごしておりまする。
どうぞ、みなさま9月9日、10日は栗東方面へお越しください。
お待ちしております。