常識の基準

土曜日、帰宅するとダーリンから娘が友達とバレーボールをしてて
よそのお宅の枝を折ってしまい、気が付いたのかつかなかったのか
(きっと気はついていただろう)謝らずに帰ってきたという話を聞かされて。
当然、そこの奥さんはうちに真相を確かめに来られ、娘に問い但し
叱って帰られたということでございました。当然、家族は平謝り。
その奥さんは極めて常識的にきちんとしてらっしゃる方なので、これを機に
よその子であっても「教育」という観点から怒鳴り込みに来られたのだと推測。
さて、こういうバヤイ、どうすべきか。
もちろん改めて謝りに行きますよねぇ。
もちろんアタクシも参りますよ。だって、よく会うし。近所だもの。
それにその話を聞かされた時「あかんやん!娘にちゃんと教育できてないって
常識疑われるやん!」って思いましたねぇ。
…といったような、いわゆる「常識」とされるものを、これらはやはり親から
教えてもらったり、いろんな経験を積む中で習得していったりしますが
実は私、あまり色んな事を親から教わった覚えがありません。
母子家庭だから、という理由は当てはまらないと思いますが、
でも理由の一つとして、親が仕事で家に居ないことが多いため
極めて親との接触が少なかったのと、私は一人っ子だったので、きょうだいの
うんぬん、というのも全くない状態ばかりだったからとも思っています。
もちろん学校での友達関係とかクラブでの活動とかでも教わっていますが
物事の多くは本から教わった気がします。
だから割と最近まで…いや今でも常識が欠如している部分がかなりあるのかも。
しかしながら、テストケースになるべきものをあまり経験していないので
今でも不安なことこの上なしであります。
近所との付き合い。上下関係。縁戚関係。公共窓口。マナー。ふるまい。
あぁ、不安だらけ。しかし親となってはそうも言っていられない。
一応は自分の好き嫌いやごくごく一般的な常識基準なるものを基に子育てして
いるつもりではありますけれども、こういった出来事があるたびビビります。
そして思い出す「サザエさん
そうそう、こういう場合。
例えばカツオがよその家の盆栽を野球のボールで壊したりしたら。
サザエさんやフネさんが「すみません」って謝りに行くよね、とか。
なんかあったら家族総出で謝ったり笑ったりするよね、って。
サザエさん」は私にとって「家族としての常識の基準」を教えてくれる世界。
お笑いなさるな。ホントなんだからね。
エキセントリックな母親だったのですよ、うちのおかあちゃんは。
男勝りで浪花節でガハハな性格だけど涙もろくて情に厚い。
すぐに泣いたり怒ったりキレたりする、困ったお人だったのです。
一本気で良い人なのだけど、短気直情型。いつでも頭から煙出している人。
もちろん嫌いじゃなかったけど、ある種の反面教師ではありました。
うちの家には世間的な常識はなかった気がする。おぉこわ〜。
だからダーリンと知り合った時に彼は親にドツかれたことがないと聞き
「そぉなのぉ〜?」とそりゃもう、たまげたもんでした。
親って子供を叩くもんだと思ってたよ。「うちの基準」では!
かように、私の常識は少しばかりアレですよ。ね。
だから「サザエさん」が私の家族像としての基準です。
なんかこんなこと書いてたら悲しくなってきたわ〜。しくしく。
私って、ちゃんと通用してます?自信ないな〜。
自信はないけど、さすが身に付いているところはちょっとくらいある。
娘には明日、こんこんと説教します!ほんまに、も〜。