年齢の実感

音楽を選ぶとき、自ずと「仕事がらみ」になりがちで寂しい思いを抱いています。
もちろん単純に音楽が好きだし、趣味なので、全てが「どれが使えるか」という基準で
購入しないにせよ、「使えるか使えないか」というのは常に底辺にあるようです。
というか、使う音楽は嫌いなものから選ばないわけですし。
さて、そんな中、当然のことながら「この曲いいなぁ〜」と思うときには
自分が踊りたいと思うことも多いし、場面によっては「あの人に似合うなぁ」と
いうのも多々あります。
それらは自然と頭の音楽室にストックされ、何らかのときに浮上してくるのですが
同時並行で、発表会などだと今しばらくはソロ作品も出さねばならない状況ですし
常に「使える音楽」を探しているといってもよいわけで。
そんな時に頭の音楽室から持ってくるのですが…。
ある時「この曲、踊りたい」と思っていたものをじっくり聴いていた時に
ふと自分の実年齢が、その曲の持っているイメージと離れている感覚に襲われました。
曲だけ聴いていたらすこぶる魂のゆさぶられるものなんですが
どうしても今の私には似合わないと思えてしまいます。
ずいぶん前になりますが、故・靖子先生がまだ指導なさってた頃のプチ発表会で
「自分が踊りたいからって、勝手に(自分が踊る曲を)決めてはいけません。必ずワタクシに相談してちょうだい。だって、イメージっていうものがあるんだから」と
いたく立腹されていたことを思い出します。
曲の持つ「曲想」
それは言葉にできるものではなく、また多分に個人的な感覚もあるものなので
あの曲が似合うとか似合わないとかは難しいところです。でも確実にある。
その辺の見極めができるというのも、一つの音楽的?絵画的?職業的?
何かは分かりませんが「才能」だと思います。
そして、それはそんなに難し過ぎることでもなく、表面に出てしまえば割合に
大勢の人が認識でき納得するメジャーな感覚だという気もします。
…わかっていないのは本人だけ、という状況が往々にしてあるもの。ひょえ〜。怖っ。
そんなお寒い状況に陥る前でよかったと思おう。
その曲は発表会で若い衆にいさぎよく譲ることにしました(笑)
本当はソロ向きの曲だと思うけれど、それはそこ、若い衆まだまだ半人前と言うことで
5人で踊る作品に登用いたします。乞ご期待。