準備をしておこう

月曜日、Hさんの告別式に参列した。駐車に手間取って開式ギリギリに到着。
すると会場がいっぱいで入れないので下でお待ちくださいと言われた。
モニターでは会場の様子が映し出されている。おっさんの読経が始まる。
数珠を片手にそれを見ていると、最期の時、病室で会ったYちゃんもやってきた。
確か普通にお勤めだからお通夜にしか来られないのではと思ってたよ、と言うと
職場の上司に言ったら行ってきていいよと言われた、と。そう、よかったね。
たぶん、このYちゃんがHさんに一番近い友人と言っていいはず。
きっとHさんもYちゃんのことを心の中では頼りにしていたと思うし。
だから、彼女が近くに行けないのは可哀想だ。立ち見でもいいのにねぇ、と言うと
そうですね、と答える。ぼそぼそとHさんとの思い出を話したりして、でも
会場だとそんなこともできなかったので却ってよかったのかもしれない。
一般客のお焼香が始まってやっと3階ホールへ行ってください、と言われ
1階で待たされていた人々と共に連れだって行く。
会場には仕事関係と思しき方が8割、あとはバレエ関係だ。
誰とでも、どんな場所でも態度の変わることのなかった彼女はいつもあっという間に
場の中心、または上に近い場所に来る。自然に。それはキャリアとは関係がない。
もしかしたらそれを苦々しく思うような人もいたかもしれない。
けれど、ここに参列した人は等しく彼女と仲良く自然に彼女を受け入れた人ばかり。
Mバレエの事務方のSさんも来られていたし、お通夜には先生方も来られたという。
それにHさんはチュチュを着ていた。友人たちがMバレエに掛け合って、そして
Mバレエ側のご厚意もあって棺に入れてあげたいという想いが実現に至ったようだ。
お別れの段になって、棺に花を納める時に見たお顔は病室で見たそれとは違い
むくみも取れ、きれいにお化粧も施してもらってとても美しかった。
BGMは彼女が初めての発表会で踊ったチェリートが流れていて、弔辞もYちゃんの
原稿によるものが代読された。
いきおい、私などは誰と会っても「久しぶり〜」状態になってしまうので
近況報告を兼ねた四方山話をしてしまう。あんな場で。
でも、なんだか親族の皆さんもひたすら悲しむというよりは表情に余裕があって
それはきっと覚悟する期間が長かったからなのかとも思うが、普通に明るい。
もちろん大声で笑ったりするようなことはないけれど、話に興じていてもお咎めがない。
出棺を見送り、四方山話もそこそこに外へ出た。
空は青く、秋と言うにはすこし暑いくらいの陽射しが降り注いでいる。
なんだかこの空のようにぽっかりとした心地だなぁと虚ろに思う。
悲しいには違いないのだけれど、なんだか現実味がなくて、あっけらかんとしていて。
後ろを振り向かずひたすら前を向いていたHさんらしい逝き方に
おいてきぼりを食ったような、そんな心地。
最近は家族葬も増えていて、亡くなったことを後で知ることも少なくない。
遠い知人は別段それでもいいけれど、そこそこ近い知人の場合はやはりお別れを
したいと思う。裏返したら、それは自分の時の事も考えることになるわけだが
質素でいいから、それなりにちゃんと参列していただけるような準備をしておかねば
と思った、ここ何度目かの告別式だった。