ナマ

昨日の補足です。
「心」といっても範囲が広いし抽象的ですがそれはその人の考えであったり
想いであったり、人生のテーマのようなものであるかもしれません。
心の一部には感情というものも含まれると思います。
ダンスにもいろいろありまして、自己表現を主体とするものもあれば
人を楽しませることを目的としたエンタテイメントに依るものもありますよね。
心が踊りに現れるのはどちらにもあると思いますが、テーマがある作品においては
自分というものを開示することが求められる場面が多々あります。
経験であれ想像であれ「自分」というものと向き合わざるを得ません。
与えられたテーマに対して自分はどう思うのか、考えるのか、感じるのか。
スッと引き出しが開くこともあれば、皆目検討もつかず
本の海を溺れそうになりながら泳いだりすることもあります。
ある時期まで「経験に勝るものなし」という考えでいた私はすごく苦しみました。
けれども今はもう「この世のすべてを経験することはできない」と開き直って
できる限りの資料を読み漁り、想像上の経験をし
その上で自分の中に似たものを探し当てる手法を用います。
自分の中にあるものは「嘘」ではないから。
「っぽいもの」はやはり浮ついていて踊っていても嫌になります。
もちろん観るのも。
稚拙であっても本気の本物を見たいと思っているので最近ダンスで見るところは
そこばっかりになってしまって指導も偏ってるかもと時折反省したりもします。
踊ることに慣れてしまっている踊り手の定番の踊りを見る時の退屈なこと…。
どれほど慣れても「本気」を出せるのが本物のダンサーだと思います。
本気に見せてしまえたりすることができるなら、それも凄いんですけどね。
やっぱナマがいいよね、踊りもビールも。