レーゾンデートル(3)

休憩をはさんでいよいよ作品「キャトルセゾン」である。
その名の通り四季をモチーフにしたもの。なんの‘ひねり’もない。
自分の実感からでた作品。なにがあっても季節は廻り、実あるものは滅し
やがて大きな循環の中に取り込まれていく。私の願いでもある。
自分が死んだらその肉体が分解され、微生物の一部となり、再生する。
あるいは花に、あるいは動物になり、雨に流れ、大気に漂う。
そんな循環の一部として生かされ死んでゆくことを思えば心も穏やかに
なる、気がする。気がするだけ?苦しいのはヤダな〜(笑)
そんな願いをうっすらと込めた作品。こんなことが作品のテーマとして
成り立つかどうかもわからないまま着手したのだったが。
一方でONさんとの出会いもあり「いずれレイさんと踊りたい」と言って
下さったのを真に受け、いずれというのは自分が機会を作らないと
永遠に来ないことを知っているので、それならとキャトルセゾンに当てはめた。
それすらどうなるかも皆目見えないまま突っ走るのが私である。
アテがあるわけではないのにね〜。あ〜こわ。それでもなんとか形になるもんだ。
皆さま、ご協力、本当にありがとうございました。
ひとまずとてもシンプルなストーリーだけれど…できたわな。して、どうよ?
イズミさんに観てもらった時はまだまだ完成には程遠いところだったが
「うむ」と言ってもらえたので、よかった。しかし、この時点ではダンサー達は
いったい自分達が何であって何を表現するのかというのが理解できなかったかも
知れないとも思う。私に「じゅんさいになれ」だの「ちょっと浮いて」だの言われて、
植物なイメージはあるものの、でも私人間だし、みたいな。
きっと何度も聞いたと思う。イズミさんに。これ作品として成り立ってるの?と。
するといつも「見ているうちに自分がイメージを勝手に紡ぎ、投影するから大丈夫」と
言ってもらえることで安心していた。取り立ててドラマが無くても大丈夫かも。
ある種の願いであり祈りでもある。祈りの気持ちは私がダンスをしていく上でとても
重要なもの。祈るために踊っている。それをやはり少しは盛り込みたい。
この世界ではあちこちで紛争があり、弱者は強者に搾取され、人々は大災害に見舞われ
なかなか心穏やかではいられない。
それでも、季節は廻りゆく。自分もまた自然の一部であることを思いやって欲しい。
いのちへのリスペクトを感じて欲しい。すべてがつながっているのだから。