根は同じ

甲南のレッスン。本番を控えて初めて大きい場所で作品を練習する。
ひろ〜い場所で4人。のびのびと踊れるね。
その場所はまだスタジオがなかったころに彼女達が練習していた場所
いわゆるホームなので、きっと身体感覚として身についているはず。
練習前に久しぶりに会ったアケミちゃんと少々話をしたり。
そしてキレイなお姉さんが来たと思ったら、受験で休んでいた二人!
まぁ、すっかり女子大生の雰囲気。まだ入学していないけど。
残念なことに一人は西宮に下宿するのでダンスは辞めてしまうことに。
そしてもう一人は大学に行ってみないと続けられるかどうかわからないと。
そうだよね。やりたいこともいっぱいあるだろうし。
少し寂しい気持ちになりつつも、前途に幸あれ!と送り出す。
二人ともスクーリングがあったり、引っ越したりで4日の発表会は観に来れないそうだ。
発表会は観に来ると思っていたので、その時に渡すべきものを持ってきていない。
まぁ、でも金輪際会えないわけじゃないし、発表会までに取りに来てもらおう。
二人に借りていた衣装も返さないといけないしね。
あぁでも本当に残念、というか、少し寂しいね。
つくづくダンスを続けるということが意外に難しいのだと思い知らされる。
世の中、ダンスが世界の中心である人間の方が少ないのかも。
それを思えば今、一緒にやっているメンバーはすごいし有難いなぁ。
さて、発表会に出るあなたたちは頑張りなさいよ。
広いのでスタジオとは移動する距離感と時間間隔が違う。
そんなことも含めての練習なのだが。
やはり大事にしたいのは表現の部分。「それふう」ではダメなのだ。
与えられたテーマに自分の中の真実を探して、当てはめて、表に出さないと。
楽しいだけのダンスじゃなく、お客さんと共有できるものを目指したい。
見ている人が自分と対話するような感情を揺さぶりたい。
少なくともそこしか私のレーゾンデートルはないのじゃないかと思っているので。
そんな演出をしていると「これってかなりお芝居寄りなのじゃないか?」と思った。
いや、しかし。
結局は芝居であれ踊りであれ、人前に立って何かをやって見せる時の真実は
同じじゃないかと思うのだ。
嘘は簡単に見破られる。自分から、自分の中から出てくるものしか空気は揺れない。
そういうことしか私が立っている場所と意味はないと自分ではそう思う。
だって、それが私には本物だと映るから。