伝える

20年目の117。
決して決して忘れたりなんかしない。
それでも、確かに「ついこの前」ではなくなっている歳月は感じる。
「ついこの前」ではなく「ちょっと前」ではある。
しかし、心に風化はない。(日常、平穏に暮らしていたとて)
京都にいたため直接的な被害は受けておらず、つまり当事者ではないので
神戸市民の方々からすれば「なんも知らんくせに」なのかもしれないが
311しかり911しかり、昨今の土砂災害のあれやこれやにしても。
もちろん当事者にしかわからないことを体験することはできない。
寄り添う、などという耳障りのいい言葉も薄ら寒い。
それでも。
表現者の端くれとして何かができるというなら、舞台上から発信するしか方法はない。
それが唯一のアイデンティティ
ど直球ではなく、それを上手くエンタテイメントにくるめないか、と思案中。
いのちのこと。
忘れませんというメッセージ。
自分たちの行くべき道。未来。
そんなこんなを楽しい表現でできやしないものか。