ふわり

昨日の京都レッスン。年が明けて初めてのレッスンだった。
水曜と同様、まずは思い出しからという空気感に満ちながら、軽い気持ちで開始。
すると驚くべきことが起こった。
「この状態なら今すぐにでも板(舞台)にのせられるなぁ」という仕上がりだったのだ。
確かに今までたくさん練習してきたし、踊っている人の中には特別な思いを抱いて
踊っている人もいるらしい「さとうきび畑」なのだが。
出だしから全体通してゆったりと流れている作品ではあるので、やっていくうちに
徐々にその世界に入り込むことが可能だということもあるのだろうか。
それでもいつも誰かが気が散漫だったり、本人に自覚のあるなしは別として漫然と
踊っているように見える時もあったけれど、昨日は違った。
休み明けの緊張感?それにまだ万全ではないらしいがYちゃんが捻挫、もとい骨折
から復帰してきて京都のメンバーは全員が揃って踊ったのが久しぶりということも
あったのか。たった1人だけど、その影響は大きい。それは誰であっても、そう。
全員が同じ方向を向いて、集中してできた結果。
なんだか幻想的な影絵を見ているような、一つの作品として出来上がっていた感が
あって、正直とてもびっくりしたし、嬉しかった。
やっている方は思い出しながら、ということもあったかもしれないし、ちょびっとは
間違ったりしていた人もいたけれど、そんなことも気にならないくらい空気が浮いた。
できれば振付は間違えないほうがイイに決まっている。
それは間違えた途端に自分が「あっ」と思ってしまうからだ。
うまくごまかせても、もしその「あっ」の時の空気感が出てしまったら、それは失敗。
自分の失敗に留まるならいいが、作品を失敗に導いてしまうのが一番困る。
けれども、「あっ」と思ったとしてもその世界に入り込んでいたなら、あまり気に
ならないこともある。決定的な間違いならまだしも、少しくらいのモノなら
空気が壊れさえ(空気を壊しさえ)しなければ、さして作品に影響はないのだ。
…いや、間違いはないほうがいいですけどね。
だから昨日も「すばらしかった!」と褒めた後に「いや、じつは少し間違いました」と
白状したひとが数名いたけれど、問題なかったのは空気が壊れなかったから。
う〜ん、本当に昨日のさとうきび畑はよかったなぁ。
きっと踊っていた方もいつもとは違う空気感の仕上がりに気が付いただろう。
そして、感銘を受けたはず、と思う。
まぁ夢中で踊っていて、それにも気が付かないということもあるかもしれないけれど。
それはそれでOKなんじゃないかしら。
あとはその感覚を忘れず、でも「それにとらわれず」にまた踊って欲しいと思う。
ともすれば、そのよかった感じをトレースしようとしてしまうからね。
大事なのはそこじゃない。
何故、そんな空気になったか、だ。
その時自分はどう思って、どう感じて踊っていたか。
来週も期待していよう。