カタカナ名

まぐだら屋のマリア

まぐだら屋のマリア

この本を読んだ後に寝たらきっちり夢を見た。
クミコ大明神が出てきた。もしかしたら長い付き合いの中で初めてかもしれない。
この本の中のヒロインがクミコさんと重なった由縁だと思われる。わかりやすい。
主人公は紫紋(しもん)という元老舗料亭の板前見習いをしていた若い男性。
あることをきっかけに逃げ出すようにして「尽果(つきはて)」という土地に流れ着く。
思い詰めている割には現実感がなく、それでも最後の死に場所を求めてやってきた。
所持金も底をつき、あとは死ぬのを待つだけ、という彼の目に飛び込んできた一軒の家。
とにかくその小屋までは辿り着こうと最後の気力を振りしぼり歩く。
小屋の前まで行くとそこはかとなく漂ってくる鰹出しの匂い。玄関先の壺には紅葉が
投げ入れされている。匂いにつられた小屋の中には「マリヤ」という女性が一人。
女性には左手のくすり指がなかった。彼女もまた訳ありなのだ。
そんな訳ありの人ばかりが集う「まぐだら屋」は近くの労働者を対象にした飯屋。
多くの人は「来るものは拒まず、去る者は追わず」の夏ばっぱである。
そんな訳ありの登場人物は、もうお分かりの通り、ある種のパロディだ。
私はパロディはとっても好きなんだけれど、これはどうかな〜と思った。
まぁ悪意がない、というか、ちゃんとそういう役回りにはしてあるっぽいけれど。
丸弧(マルコ)に余羽(ヨハネ)って、ねぇ。
「赦し」がテーマである。その筋もそれっぽい。
前も述べたか、私はカタカナの登場人物の名前に弱い。
だから翻訳ものはどうにも苦手なのだ。これは翻訳ものじゃなかったけどさ。
あぁ、でも自分の名前はカタカナだっていうのに。