思わぬOG会

高校時代の新体操部顧問からメールが来た。
「突然やけど芭蕉が亡くなった。電話ちょうだい」
芭蕉と言うのは姓が「松尾」というだけでベタなあだ名を持つイッコ上の先輩だ。
高校卒業して以来、一回か二回くらいしか会っていない。
でも、亡くなった、なんて。
すぐさま先生に電話を掛けた。
先輩、具合が悪かったんですか?と聞くと「がん」だったとのこと。
実はその先輩の次女が先生が今いる学校の2年生なのだとか。
だから誰よりも早く情報が入ってきたのだろう。
新体操関係は先生の連絡網によって回されたようだった。
ちょうど先輩が在校中にかかわっている部員はそんなに多くない。
先輩の世代が一番多くて6人。その上が4人。私の代はマネージャーを入れて3人。
先輩達は滋賀で国体が開催されるときに3年生だということで、ちょうど6人の
フルメンバーで戦った世代なのでずいぶんと絆が強い。
もちろん明けても暮れても合宿だったので私も加わっているが体育会系の上下関係って
烈しく強固なものがあり、イッコ下ではパシリ同然だ。(パシリではなかったが)
仕事関係ではずいぶん年上のお姉さま方に対しても「タメ語」の私だが、
そんな中ではそうはいかない。もちろん決して怖いお姉さま方ではないけれど。
先輩にはすぐ下に妹さんがいて、その子が私と同じ年、つまり同窓生なのだ。
それこそ30年近く会っていない。彼女はどうしているだろう。
こんな機会になってしまったけれど会えるのは少し嬉しい。
式場は草津駅裏の葬儀場。
ちょうど滋賀のレッスンがある日だったため、家には帰らず直行することにした。
受付の近くに先生がいて、行くとすぐに声をかけてもらえた。
寄っていくと通夜に来ることのできた先輩方が4名。
本来なら「お久しぶりです〜」とニコニコするところだが、当然のこと空気が重い。
沈痛な表情のまま挨拶を交わし、特に芭蕉先輩と仲の良かったY先輩はグショグショだ。
「忙しいのにありがとね」とそんな顔で言われた日には、もう。
それにしてもなぁ。50歳って。。。やっぱり若いよ。
実はこれで新体操関係の先輩が亡くなったのは2人目。
その上の先輩の時はずいぶん早かったと先生に後から聞いた。
喪主を務めたご主人のお話によると芭蕉先輩は2年ほど前に子宮がんが見つかり、
すぐさま摘出手術をされたらしい。けれど転移し、抗がん剤治療を施すもあまり甲斐なく
それでも先輩は持ち前の明るさで頑張って乗り切ろうとしていたとか。
けれど具合が悪くなりつつあった矢先に脳梗塞を併発したらしく、それが決定的に
なってしまった。
お話を聞いていると、どうやら在宅のままで治療を受けておられたらしい。
何度も涙を抑えきれないご主人のお話に、こちらの胸も詰まる。
両サイドの先輩も嗚咽を漏らして壊れた水道状態に。もう、先輩やめてよ〜(泣)
私達は先生を筆頭に最後まで残り、お顔を拝ませてもらうことになった。
芭蕉先輩はうっすらと瞳が開き、面影は昔のまま。
そうそう、そういえば合宿の時の寝顔も「芭蕉が目ぇ開いて寝てる」と
いきなり熟睡モードに入る芭蕉先輩の顔をこうして皆で覗き込んだことがあったなぁ。
なんだかその時のことが思い出されて、確かに一緒に厳しい練習を乗り切ったんだと
涙を誘われるも、温かいものを感じたりもした。でもやっぱり寂しい。
高校卒業以来ほとんど会っていないのだから、突然のことで実感がわかないし
そうしてお顔を拝見しても、なんだかヴァーチャルの世界みたい。
覚悟ができていたのか不思議と2人の娘さんは明るかった。
でも寂しいに違いないし、この先お母さんに聴きたいことが山ほど出てくるだろう。
でも式には沢山の親族もいらっしゃったし、これだけの人に囲まれているなら大丈夫。
それに私の同窓生(2人にとっては叔母ちゃんになる)が放ってはおかないだろう。
遺影を見て「お姉ちゃん、ホンマはこの写真絶対いややって言うはずやと思う」と
泣き笑いの顔で言ってたけれど、姉妹が一番きついかもしれない。
母子家庭の3人姉妹だったものね。
長女の先輩は病床でもやはり最後まで長女らしいふるまいだったそうだ。合掌。
私の中では先輩は18歳のときのままです。