メメント・森

死を想え=メメント・モリ。有名な言葉。
思いを馳せない人はいないだろう、と思うものの苦手な人はいるようだ。
昨日、とーるさんから借りているラカンの本を読んでいたらそんな記述が。

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

読みやすいのは語り口だけ。内容は難しいです。でもわかった気になる。
自分の存在がなくなること。それがどういうことかを考えて
でもわからなくて不安になる人と、そういうものと思う人と。
年が明けたら私は48歳。母が亡くなった歳だ。自分の中のボーダーライン。
身近な人がいなくなること。確実に無くなってしまうこと。
もう言葉は交わせず、亡骸はただの容れ物だとしか思えない。
母は自分から見た「母」という存在でしかない人はどこへいったのだろう。
この容れ物の手足を動かしていた実体は何だったんだろう。
てなことばっか考えてたなぁ。
でも、いつの頃からかどうしたって解らないよなぁ、と思い至り
それはそうなったときのお楽しみと思えたりもして。
実体がなくなるのは淋しくも清々しい。
もしかしたら死者も生者を想ってるかも知れないが、それは伝わりにくい。
生者からはこうやって本だって出せる。森さんが紹介しているように藤原新也さんのものが有名だけれど。
森さん、好きだなぁ。
私もわからないことはわからない、と堂々と言えるようになろう。