「あゆみ」「TATAMI」

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劇団しようよ主催の「あゆみ」と「TATAMI」を観てきた。

ニットの門脇くんが出演している。この日が千秋楽でギリギリ滑り込みセーフ。

朝11時からの公演て(笑)しかし千秋楽ってんで満席なのか。

まぁ、月曜しか空いてないって人も世の中にはいるものね。

芝居のロングランはこういういいところがある。

土日休みのひとって普通じゃないんだよね。

「あゆみ」はとある女の子の成長物語であり、家族の物語である。

素直なストーリー。ただし出演者は全員男性。女の子の小さいとき、小学校時代、

高校時代、就職してから・・・が描かれて、それぞれ俳優がバトンタッチしていく。

変わらないのは犬、お父さん、お母さん。芝居の中で年老いていく周りの人達。

客観的に見ても、そういえば自分軸で見たときにこういう風に見えるな~と

思いながら観ていた。普遍的でミクロがマクロにつながる世界だ。

ただそれを観ながら「こうした一般的と思われる境遇って珍しいのかも」と

最近のこども食堂だとか戸籍のない子供のニュースがちらりと頭をかすめる。

客席では結構若そうな人たちからすすり泣きが聞こえていたな。

私はほんわかとあったくなりつつももう少し冷めた感じで遠くに見てしまったかも。

でもこういう素直なストーリは嫌味がないし、若干ニットの世界にも通じていて

好きだなぁ、と思いながら観ていた。門脇君はお父さん役。板についてる。

犬(役)がめっぽう可愛かった。

少々時間をおいて今度は「TATAMI」一度家に帰って夕食を作って出てきた。

こっちはすこしだけ未来のお話だ。とはいえ美術はおもいっきり日本家屋な感じ。

お父さん(これも門脇君)と息子の物語。人生をどうたたむかがテーマ。

お父さんはすべてを自分の責任において畳みたいと思う。

息子は勝手にたたんでしまう父親に戸惑い、抗議する。思い出はどうなる?と。

父曰く「思い出はものにあるわけじゃない」確かにそうなんだけど(笑)

私自身はその父親的な成分がきっと多いのかとても共感できた。

でも息子の情緒的なものも理解できる。モノに思い出がないとは言っても

情緒的にはそれは単なるモノではないのだ。でもね。死んだらゴミよ。

息子が生きているうちはそれはゴミではないが息子さえ死んだらそれは思い出を

引き継ぐ人がいなくなった時点でゴミなんだ。

それなら自分が責任をもってタタミ(処分し)たいと思うよね。

ただこれの結末の切ないのは父が若干ボケちゃって、身体が悪いのに生きてること。

そうだよ。計画通りにいかないのが人生なんだ、たぶん。

少しばかりSFチックに仕上げてあるのだけれど、そこはあゆみと同じように

リリカルでよかったんじゃないのかな~というか、それは私の好みかな。

後で知ったけど、この劇団はもとは佛教大学。

ごまさんたちと一緒やん。なるほど納得。

京都の小劇場界、各大学の色合いが脈々と受け継がれている感あるね。

同志社にせよ、立命にせよ、京大にせよ、佛大にせよだ。

なんだかそれぞれいろんな劇団はあるのだけれど底に流れているものが

受け継がれている感じは本当にあるなぁ。面白い。