身体性と具体性
インプット週間続く。続きまくる。
この土日はおばの家の整理をしようということになっていたので
お出かけは予定に入れていないが、夜なら、京都なら動けるということで。
本当に近所の京大吉田寮にて京都学生演劇祭へ出かける。
歩いて3分くらいのところにあるけど、この土曜日しか行けないかなと思い
その時間に行ける枠でやっているものをチョイス。
するとその目当てにしていた芝居にこれまたねむり姫で共演した坂本彩純ちゃんが
出るというのが分かった。へぇ~偶然。
この演劇祭はコンペ形式で観客が自分の見た芝居に点数をつけて投票するシステム。
一番得票の多かったものが大賞となり・・・何か恩恵あるかしら?そこは知らない。
それでもこうした活動が京都の、ひいては日本の演劇界を支えているんだなと思う。
改めて演劇も面白いなと感じる今日この頃である。
当然のことながら作者も出演者も学生で、各団体の持ち時間は45分間くらい。
私は時間の関係で2つしか見ることが叶わなかった。
一つ目は密室(?)での若干ミステリーっぽいようなSFチックな会話劇。
いわゆる効果音をその中にいる人がその場でやるという体裁をとっている。
その意味があったかなかったか、というのは辛口か。
ていうか目立ちすぎるんだよね、他の役者が話を進めている時に。
途中で、あぁここにいる意味が見つかったなと思った場面もあったけれど
その人が見えてるけど効果音担当の為、または視覚的効果を狙ってそこにいるのが
始まってすぐは理解できなかったから気になりすぎた。やりたいことはわかるけど。
二つめが一応目当てにしていたお芝居。すーちゃんが出ているもの。
コメディだと謳われていたのだが・・・?ちょっと特殊で爆発的には笑えない。
なんでやろなーと見ながら考えていたら、突き抜け感がないんだよね。
少し知的なスタンスに日和ってしまって。まぁいわば不条理劇みたいな感じで
なんとなくオムニバス形式になっているようだ。
そしてやたら動くし、やたら叫ぶし、意味なく熱いし。わけわからん(笑)
そうだから反対に言葉や単語の無意味さ、または物語の机上の空論さかげんが
浮かび上がってきたので、作者がそこを狙っていたとしたら成功かな。知らんけど。
ただその中で一つ、昔の物語「〇〇〇〇万歳!」といって自殺する男性の芝居が
その表情を含めてとてもよかった。今は昭和20年か、と思った。
まぁ演劇というのは面白いですね。でも難しいですね。
若いときは「自分が」を押し出しすぎて、伝えたいことをピンポイントで伝えるのは
なかなかテクニックのいることなんだなぁと思う。
思えば20年前に観たニットも(パターンは違えど)こんな感じやったもんね。
やり続けていくことで開ける境地とやり続けないと到達しえないものが絶対にある。
学生、まだまだ時間があっていいね。また来年も吉田食堂に見に行こうっと。