努力が才能を超える時

今回の現場では芝居畑の人もいれば、そうでない人もいるし、全くの初心者に

近いような人も、ベテランもいたりする。要は十人十色でカオスな現場。

今回、振付を担当させてもらう事になり初めはどうして接していいやら

わからなかったけれど、最近になって「フラット」なのが一番だと悟った。

つい「教える立場」に慣れたような事になってしまうと空気が変わる。

そうだ。私は「センセイ」ではない。センセイと呼ばれない事。

それはとても気持ちがいいものでありつつ、なかなか難しい立場でもあったりする。

でも、まぁ、そこはなんとかね。

先んじて色々な場面の振付を施し、それらも中盤を越えて、いくつかはほぼ完成に

近い状態である。その振付の時はまだまだみんなとの距離は遠く、遠い分だけ

目も曇らずはっきりといろんなものが見えていたのは確か。

ダンス的な観点からするとふるいにかけた時点で残る人は少ない、かもしれない。

中には華を持つ人も当然いるし、人によってはキラリと光る原石がむき出しだったり。

それもこれも持ち合わせていない人も、いる。

それはもう仕方のない事。

その人の責任でもなんでもない事。

求められているのは一番人数の多いシーン。

経験があろうとなかろうとぶち込まれ、私はそれをなんとか形にする役目だ。

ふるいの網からこぼれた人、数名。とはいえ、踊らないわけではない。

これがまた真面目な人ばっかりで。

初めはどうしようもなく、まずは振りを覚えてもらったらその後だな~と考えていたが

いつの間にかちゃんと形になっているし、言い方は悪いが紛れているではないか!

本当にびっくりしたし、感動した。

努力が才能を越えるってこういうことだと思えた。本当にすごい。

その間、出遅れた「才能ある人」は影が薄くなっている。

才能だけでは世の中渡れないという事例をこんなに間近で目撃することになるとは!

ただ躊躇うのはそれを本人達に伝えていいものかどうか。

だって本人達は自分が最初から「イケてる」と思っているかもしれないもの。ね。

私の心のふるいからこぼれてるなんて思ってないだろうし。

こっちだけの観点からの物言いは失礼にあたるわさ。

いや~すごいもん見たな~と思うと同時に「才能ある人が努力したら・・・」と

身も蓋もない事をも考えるのだった。

いや、でも大概の「才能ある人」は自分が才能あることをどこかでわかっている分

少し自尊心が高く、また少し舐めてる、と思うことがある。

そう思えば「本当は才能があるけど自覚が無く不器用なタイプ」が最強かもしれない。