マジな話

5月6日より本格稽古の始まったニットキャップシアター『ねむり姫』

とはいえダンスは結構時間がかかると踏んで4月中からガンガン始めた。

そして、やっていきながら様子を見たり、特性を掴んだり。

一応いちばん初めの稽古でおおかたの見当はついたものの、やはり何事も

天性と努力は違うのであって、すぐできる人もいれば時間がかかる人もいる。

でも基本、役者さんは本当にポテンシャルが高いね。

やっぱり「見せる」ということにおいての表現は「なりきれる」ことが大きい。

その意味では初めから「なりきる」ことを身上とする役者と言うイキモノは

場面を与えられると、まず最大限にそれを表現しようとする。

そこには正解は無く、まずは自分の感覚にあるものをやるので嘘にはならない訳。

それはダンスの場面でも活きてくるもので、少々型がどうであろうと「その気」の

いかに大事な事かと目を見張る場面がたくさんあって、こちらも勉強になった。

きっとコンテンポラリーダンスの派生はここだろう、という気がする。

振付があると、つい振りを上手くこなすことに気が取られてしまいがち。

とくにジャズなんかはその縛りがきついような気がする。

もちろん口でそれ(振付そのもの)は大事なことではない、といくら言ってもだ。

長年の習性から来るものだから仕方がない。だから振付も何もなしで踊れと言われても

躊躇してしまう。もちろん私も。自分が踊るときでさえ自分に振付を施すのだから。

その点、ストリートダンスは基本のステップさえ習得してしまえば後はフィーリング。

各自でアレンジすることを善しとされているものだし、もとよりフリースタイルだ。

コンテンポラリーも基本、自分が踊るときにはまずフィーリング。フリースタイル。

だから即興が成立する。好き嫌いはおいといて。(私は即興を善しとしない)

何度も考えてぼんやりと答えの出ていたことが明確になった気がした。

だから?

だから、やはり振付を覚えたその先まで我々は行くべきなのだ。