とりあえず30日

30日の照明合わせを前にして京都メンバーの雰囲気がほわっほわしてきているような。
なにはともあれやり切るしかないのだが。
そして稽古場ではそこそこ出来上がりつつあるのだが。
私としてはどこまで求めたもんかと思う。
もちろんみんなの能力を低く見ているワケではない。
一番大事なことは何か、と常々思うし、考えてるしで。
「踊る」とはなにか、と問いかけ、また折に触れ私が思うところを信じて
述べてはきているのだけれど。それだけでもないところが難しいね。
しかし、それにしてもまずはそれぞれが思うところを目いっぱい「表現」
してもらわなければ判断も付かないわけですし〜。
私は怖い先生ではないと自覚しているのでみんなが委縮はしていないと思うのに
今一つメーターが振り切れないのは何故か。怒らないのにな〜。
出してもらわなければいいか悪いかも、そぐうかそぐわないかも判断できないのに。
確かに3分なり5分で終わってしまう小作品じゃないからこそ通底させる意識のありようが
難しいと言えばそうなのかもしれない。
でもそれはいかに没頭して世界を作り出すかしかないと思う。500万回は言ってる(笑)
今回の作品をやる事で、みんなもそこのところの楽しさに開眼しますよう。
ハッキリ言って踊りの楽しさなんかそこにしかないんちゃいますかぁ?
意識を遊ぶ。観られていることを楽しみ、また視られていることを意識しない。
もちろんそんな時点では次の振りが何かなんて考えてるはずはない!決して。
そしてそこまでになろうとすれば一回一回の練習でいかに自分の意識を創って
いくかというところにしか活路はないはず。
その意識が本番のあなたを創りだす。本番は稽古の延長にあるものだ。今も昔も。