体験の大切さ

今時は小学校や中学校でも広島や長崎への修学旅行がなくなっているそうだ。
そういえば、うちのムスメも小学校では淡路島から岡山へと言うルートだった。
一応、修学と言うからには何かを学ぶためだが、京阪神地域では阪神淡路大震災
それの対象となっているらしい。うむ。それはそれでいいと思うけれども。
そんなこともあって、うちはムスメが卒業する頃に広島への旅行をする事になった。
私自身も修学旅行は中学校で長崎へ行き、高校では知覧を訪れたのだが
広島は初めてだった。
なんというのだろう。その土地の持つ空気感のようなものを体験するのは良いことだと
素直に思える。もちろん原爆資料館の内容と照らし合わせてではあるけれども
遺すか遺さないかで大モメにモメたらしい原爆ドームもずいぶん風化してはいたけれど
「なし」にならなくて本当に良かったと思う。可視化というのは大切なこと。
原爆資料館のマネキンが「子供が怖がる」という苦情でなくなるとか聞いたが…。
バカじゃないの?苦情を言う人。
確かにあそこまでする必要があるかないかと問われれば、あれは単にマネキンだし
想像力を働かせてみるにマネキンは現実にくらべて陳腐に感じるかもしれない。
でも字も読めないような小さな子供にとっては、あの可視化が怖かろうとも
後々大切な体験になると思うのだけれど。
思春期を迎えている小中学生なら尚更だ。その年代になれば識字も出来るだろうし
ある程度の想像も働く。その時は興味が無くても、その体験はかけがえのないものに
なるはずなのだ。あぁ、もちろん震災に関することも大事だけれど。
反対に震災関連施設はふつうの遠足でも行けると思うんだけどな〜。
教育現場も変化しつつあるのかどうなのか。これも嫌な動きの一つなのかどうなのか。
最近の若い保護者の中では「いまさら広島や長崎でもないでしょう?」と言う声が
あることをニュースで知って心底驚いた。
もちろん一部の人だろうけれども、あまりにも想像力がなさすぎるというのか
無神経というのか。
でも若い人でもしっかりと自分のこととして考えることができる人もいる。はず。
私達の世代がバトンタッチの鍵を握るのだと冷や汗が出る思い。
戦争のことは体験していないけれど伝えていかないと。
そういえばこの前、ムスメが学校から中学校で使う教科書の選定に関する資料を
持って帰ってきた。どの教科書が良いかを皆さんの目で確かめて意見をください、と
言うような趣旨のプリントだった。曜日が合わなくて行かなかったけれど、
こんなこと、前からやっていたかしら?と不思議に思ったが忘れていた。
しかし、最近のニュースで公民の教科書に何やら不穏な動きが生じていたことを知り
驚いた。
かろうじてうちの中学ではそれは選ばなかったようでほっと胸をなでおろしたが
ウカウカしているとうっすら取り込まれていくよ。気を付けないと。