踊る意味

滋賀チームのみなさんには公演のチケットをご協力お願いしている。
いつも本当にありがとうございます。何卒よろしくお願いします。
そんな中、1番に「お支払しときますね〜」とチケット代をくださったOZさん。
この前の某会議でのパフォーマンスも観に来てくださって、何故かその話に。
芭蕉精はそれこそ今まであちこちでたくさんやっているのでOZさんも初見では
なかったはずなのだが「この前の芭蕉精はびっくりした」とおっしゃる。
なにが?と聞くと、「先生の顔が姉にそっくりで、というか姉そのものやった」と。
え〜?お姉さんと私、よく似てるんですかぁ?と笑いながら聞いていたが、初めは
顔は似てないけど色は白いとか仰っていたが、よくよく聞けば、そのお姉さんは
数ヶ月前に亡くなられたそうである。
そのお姉さんが、まるで自分の目の前に現れて(自分に会いに来た)と思ったと。
うっすら涙を浮かべながらおっしゃるので、つられてこっちまで泣きそうに…。
もちろん、そんなことは知らずに踊っていたし、言い方は変だが、そういうものは
観る人の勝手というか、踊りの解釈にしろ作品のテーマにしろ正解を求めるものでなく
観たまま感じたまましていただくべきものだと思っている。
(…もちろん伝わらないと自分の至らなさが残念で悲しいのだが)
けれども、芭蕉は鎮魂の踊りである(そのつもりで自分は創った)ので、踊る側から
すれば対象物はけっこう上から目線で広い範囲にむけているのだが、受け手にとって
それがそういうふうに心慰められるものであったことに感激した。
宿神としての踊りを目指すためにこの世界へ戻ってきた私。
それはなにかと問われたら「ある種の依代」を目指すことでもある。
T先生には「あなたの踊りで浄化されるべき」と目指すべき指針としての提言を
いただいたけれど、それが出来ている自信なんか未だにちっとも見当たらない。
でも、こうして多数の人でなくても、あるいはその人自身に宿るものがあっての
偏った見かただったとしても、たびたび私の踊りを観て涙を流してくださる方が
いらっしゃるというのは本当にありがたいことです。
これからも祈りを込めて踊りたいと思います。