ムスメの考え

昨日、ムスメがこんなことを言いだした。
「自分らが学校なんか作るからちゃうん?」
道徳の授業の延長で人権学習というのがあり差別についての講話があったらしい。
在日コリアンの方が来られてお話をされたとかで、大筋はお互いの違いと文化を
認め合って仲良くしていきましょう、というようなことを話されたそうだ。
ムスメは当然そんなことに引っかかったのではなく。
彼女の考えとしては「私たちは人種が違っても差別なんかしないから、文化や
違いを認め合おうというなら同じ学校で共に学ぶほうが近道だと思うのに
自分たちだけで学校作ったら反対にお互いのことなんかわからへんやんか」と。
おかーさん、困りました。どこからどうやって説明したらいいもんか。
でもムスメの考え方はあながち間違っているとも思わない。
それはそれで褒めておき、でもそれが難しい経緯というものを説明…してみる。
私の世代も同和問題というものを学んだ世代だ。
けれども学校で学ぶことと、実際自分が見聞きする大人たちは随分違うことを知り
憤ることも多かった少女時代を思い出した。
結局は家庭内での教育、というものが一番大事だと思うのだ。
そして、特にそんなことに触れずに来た娘のような人間はいろんな人種が居るのが
当たり前であり「差別」なんてことすら考えない世代に突入しているらしい。
帰国子女やいろんなお国柄との間に生まれた子供たちとも接する機会が多い土地柄
京都市左京区」であるせいか、小さい時からまわりに様々な人種が溢れていたムスメ。
彼女にとっては「いろんな人がいて当たり前」なのだ。
けれども、多分、まだまだ根強い差別がある場合があったり、反対にこの先
「日本人だ」ということで差別を受ける側になることがないとも限らない。
説明するのがとっても難しいよ。
できることなら、そのピュアな感覚をずっと持ち続けて欲しいものだ。
あぁでも、これは本当に難しい問題だね。
まっすぐその人がどんな人か、で付き合えるに越したことはないのに。
ムスメの将来に幸あれ。