7の倍数

お世話になっている臨床心理士のT先生に教えていただいたこと。
「言舞(ことまい)」という公演の時のプログラムにも載せたことだけれど
7というのは成就の数だそうで。
あの時、そこへ書いた数々のことは偽りなく、確かにいろいろな意味で7という数が
なんらかの節目になっているなぁと不思議な照合に感嘆していた。
それと同時に、7の成就を境に自分自身なのか、あるいは自分を取り巻く環境なのかは
定かではないが変化があるような気がしている。
それは振り返ってみて初めて解るものであるのだが。
とりわけ物事への向かい方。
私の場合には踊る作品や創るもの。
あの公演は踊りを再開してからの「7」年目であり、そこまではある一途な思いと
考えの中で自分自身が創りだす踊りというものを捉えていたし、また実現させてもいた。
しかし、まるで憑き物が落ちたように、あの公演以後、立脚点は変わらないにせよ
多少見る方角が違っているなぁと自分自身も思っていたものだった。
それは発表会において特に顕著で、いわゆる見世物としてのエンターテイメント
しかもお笑いが主軸であるという、本来の自分とはかけ離れた(自分ではそう思う)
ところへ舵を切ってきたような気がする。
もちろん、自分の中には確固として「やりたいもの」「すべきもの」「目指すもの」が
あるにはあるのだが、なぜかわからないけれどこっち方面に・・・。なんの仕業?
発表会というのは普段8割方主婦である私にとっては、それなりに力を使い
骨の折れるものである。(もちろん好んで骨折しているのだが)
2年に一回といえども結構大変。それが言い訳ではないけれど長らく自分が踊る為の
公演を企画することから離れていた。
しかし自分のボーダーラインであった48を超え、50になんなんとする今、
焦燥感をヒリヒリと抱えつつ、なんとかこの節目に公演をと内心、目論んできた。
そして、ついに2015年の秋を皮切りに(いや、アンタそないに大げさな〜)
2016年の秋まで3本、走りきってしまおうと覚悟した。腹を括れた。
正直な話、先立つものへの不安感が一番あったのだが、もうこれは借金してでもと。
うん。生きていればなんとかなるさ。
見渡せば協力していただけそうな仲間にも恵まれているし。今やらねばいつやるの。
すでに十分遅い感じもする。それに単に腰が重いだけで大したことでもない気もする。
けれど、やはり主婦ダンサーの私にはなかなか覚悟のいる話だったのは間違いなく。
で、ふと気がついた。
走り抜けた先の2016年。あれから7年目なんだってば。こわ。