1123(イイニイサン)その4

25日の葬儀は朝から雨が降っていた。
実はこの日、私は先約があったのだが、その約束を動かせなくはなかった。
内心、自分が最後までお付き合いすべきかどうか迷ってもいたのだった。
初めは彼の状況からして、見送る人がご家族だけになりそうなら有志の友人として
その場にいるつもりだったのだが、お通夜を見るとそんなに見送る人が少なくも
なさそうだったし正直迷った。
しかし告別式は平日になるので参列者は少ないかも、との予測。
そういうことならやはり、と、こちら側の予定を変更させてもらい出席することにした。
するとどういうわけかお骨を拾う場面にまで立ち会うことになった。
(私が拾っていいのかな?)と同窓生数名は同じように思っていただろうと考える。
成り行き上、というと語弊があるかもしれないが。
これもなにかの縁というのはきっとこういう時に使う言葉なのかななんて思いながら
彼の立派な真っ白のお骨を骨壷に納めるお手伝いをさせていただいた。
火葬の最中には待合所で同窓生たちとMくんにまつわる思い出話。
全員が話しながらも(Mくん、聞いてるか?)と思っていただろう。
きっと彼はこの状況をどこかから見下ろしているに違いない。
けれど、その姿はもう私達には見えない。
当たり前のことだけど、寂しいね。
そして、その時に聞いた、様々ないわゆる虫の知らせ的な現象の数々。
やっぱりそういうことはあるに違いないとも思うし、私自身も母の時に経験している。
翻れば、自分もいずれくるりとそちら側になる可能性を遠いこととして思えはしない。
その時のことを考えて、やはり断捨離。
それから人との縁。
逝く身として出来うる限りの準備というものをしたいと思った。
そんなこんなの数日のことを水曜日の稽古場で話をしていた時のこと。
春の発表会にも出演してくださった方が、心筋梗塞であわや、というところだった事が
つい先週にあって、その方は幸運にも病院へ直行でき、今は入院されているが
すでにリハビリを始められたという話。
逝く人と、残る人。生死の分かれ目はどこになるかわからないね、と話していたら
「そうやって生き残る人はまだまだ罪を償わないといけないって言われているよね」と。
贖罪なんですか、生きていることは。まぁそうかも(笑)
となれば生きの残っている我々はえらいこと罪を背負ってるわけやね?と笑い話。
いや、ほんまのとこ、そうかもしれません。
だから生きている時には「ひとのため」になることをしないといけない。
きっとそのための人生なんだと、50を過ぎてやっと思い至るていたらくです。
あ、まだギリ49だけどね(苦笑)
ひとのためが自分のためであり、反対もまた然り。
とりあえずは与えられた目の前のことを一所懸命でやっていこう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1123(イイニイサン)お付き合いいただきありがとうございます。
こうして日々のことを記しているこれもまた、私自身が残せるものであるのかも
しれません。特に、今は自分の人生を形成してゆくのに必死な娘にとって。
いずれ私がこの世からいなくなった時に、生前、自分の母がどんなことを考え
どんなことを感じていたかを知りたくなった時に、その手立てのひとつとして
このダイアリーが彼女のなんらかの力になることがあるかもしれないと
ついそんなことまで考えさせられた同級生の死でした。
うん、ハハはまだしばらくしぶとく生きていくつもりだけどね!もちろん。
なんたって2015年から秋、春、秋と3本立て続けに公演を予定しているんだもの。
まだまだMくんに呼ばれるわけには参りません。
Mくん、今はまだそっちの住人と遊んどき。