1123(イイニイサン)その3

お棺に横たわっていた彼はうっすら笑っているように見えた。
その一方で顔が打ち身の数日あとみたいに黄色味を帯びてもいた。
ふんわりと聞く所によると死因はクモ膜下出血で撮ったCTでは脳が真っ白だったと。
それにしても、こうしてご遺体を目の前にしていてもまだ信じられずにいる。
今まで何度もこのように葬儀の場に居合わせるときには毎度思うことだけれど
ご遺体はすでに魂が抜けていて生前とは違った「物体」になってしまう。
当たり前なのだろうけれども不思議なものだなと思う。
そして思うのは自分もそうなったときのこと。
そして久しぶりにそうだったと思い出した、人間死ぬときはあっけない、という感覚。
母の時もそうだった。
その日の朝まで生きていた人が夕方には物体になっていた。
だからこそ、やりたいことをやろうというのが私の人生の指針となったのだった。
Mくんはこの時点でよかったんか?と心で問いかける。
彼が時折こぼす言葉の端々には自分の置かれている状況において、いつどうなっても
(思い残す人がいないから)いい、というようなことを思っていたようだった。
周りにいる私たちは「何を言うてるの」「身体、大事にせなあかんよ」くらいしか
うまい返事を返してあげられなかったのが悔やまれる。
きっと心の奥底では寂しくて不安だったんだろうなぁ。
生きながらえた先に待っているかもしれない自分の孤独な状況より、今なら
楽しい仲間に見送ってもらえるしいいなぁ、なんて思っていたのかもしれない。
そしてそれは図らずもそうなったけれど。
彼が心配していたことをよそに、それはそれはたくさんの人が彼の死を悼み、涙し、
それぞれが思い出を語りあった葬儀だった。
会場の上のほうか隅のほうかはわからないけれど、きっと彼はその状況を見ていたと
信じている。
あんなにたくさんの人に来てもらえて本当によかったね、Mくん。
Mくんとは小学校、中学校と特に喋った記憶はない。
クラスも一緒になったことがないので、たぶんほとんど話したことがない。
それでも同じ地区に住んでいたので私は毎日彼の家の前を通って学校に行っていた。
正直、そんな思い出くらいしかないのだ。
それでも夏の同窓会を軸にその前後、彼はひょいと来てはなぜか私の横へ座り
一方的に地域での、または昔の武勇伝(笑)を面白おかしく話してくれるのだった。
不良というのではなく「やんちゃ」という称号がふさわしい彼はスポーツ万能で
サッカーの滋賀選抜メンバーでもあった。
もともとの気質なのか、受け継いでいるものなのか、堅田という町の漁師特有の
荒っぽさと豪快さを持ちあわせ、今ならきっと問題になるようなこともたくさん
しでかしてきたことは彼の語る武勇伝でうかがえるのだった。
それでも本音で生きている清々しいきっぷのいい男だった。
私が時折放つ辛辣なツッコミを一番面白がっていたのが彼だった。
電話をくれた同級生とは別の意味でこの先、本当に面白い仲間として、共に笑い
励まし合って生きていけそうな付き合いができるような気がしていたのに。
いつでも残された側が痛くてさみしい思いをすることになっている。