淡海節

ちょっとした思い出話にお付き合いください。
昔、ちょうど今季わちゃわちゃやってた同窓会の元となった小学校に通ってた頃の話。
私は京都生まれ京都育ちだったのが両親の離婚騒ぎで母親についていくことになった。
母の母。つまり私には祖母にあたる人がこの土地にいて、一旦は母娘で身を寄せたが
やはり時代なのか祖母と母の折り合いは離婚話によってぎくしゃくしていたので
母子家庭が優先してもらえるとの噂を聞いた公営住宅に当選し町内を引っ越した。
その時、ちょうど小学校3年生。
芸事好きな血はこの人から流れているのかも知れないが、母親は三味線を習いに
行っていて、たまにそれについていくことがあった。
本格的な個人レッスンではなく、いわゆるサークル活動みたいなものだろう。
公民館に集って三味線弾いたり、民謡を歌ったりしていたグループだった。
今にして思えば、それは「淡海節保存会」の発祥だったのかもしれない。
淡海節というのは滋賀県の民謡だと思っていたが、wikiで調べたところ堅田出身の
喜劇役者、志賀廼家淡海が舞鶴で海を見ている時に故郷の堅田を思い出し歌った歌が
大正時代に流行歌として爆発的に流行ったものを民謡として定着させようという気運が
高まったのがちょうどこの頃だったとか。
母の行っていたグループが淡海節保存会だったかどうか、その真偽はともかく、
何週かついて行ってその様子をじっと見ていた覚えは鮮明にある。
なにより、その歌というか節回しは未だに歌えてしまうほどに染み付いているのだ。
そのことを何とも思っていなかったが、ちょっとしたワケがあって、淡海節を調べて
いるうちに香西かおりさんの歌っている動画に行きついて、この一連の話を
思い出した、というわけ。
それと、同窓会でなんども第2の故郷に帰っているうち、なんというか風景に対する
里心みたいなものが知らず芽生えていたのだろうと思う。
淡海節で歌われている情景が当時、琵琶湖のほとりに建っていた団地のベランダから
見ていた景色、感じていた空気と重なり、水墨画のような色彩で胸に迫ってくる。
民謡が沁みる歳になったんだなぁ、と感じ入ったりもする秋の日(笑)
ちなみに香西さんのは載せられませんでしたが淡海節はこれ↓私が横で聴いていた頃、「漁師は帰る」のところ、地元の方々は「かいる」と
歌ってました。
それと、この歌は全国に普及したようですが、関東では節回しが違うし
漁師のところは「船頭さん」になってます。
本家本元は志賀廼家淡海ですから、今、保存会がやっているのが本家なんでしょうね。
一番の歌詞を聴くと心がセピア色になります。香西かおりさんのCD買おうっと(笑)