イベント本番その3

芭蕉精は今回、初めてそのストーリーを前もってナレーターの方に読んでいただいた。
一応、お話のある作品なのと、会場の状態からして踊りだけをやったらきっと浮く
と思っての事。TPOっていうんでしょうかね。
そしてその目論みは見事に当たっていたようだ。ユニちゃん達がお笑いで思いっきり
雰囲気を温めてくれていたおかげもあり、またナレーターの方が上手だった!
この方もOさんの生徒さんなのだが、第一声からして「プロ」だったので安心だったし
なにより声に嫌みがない。
こういった職業の方って、自分の声が好きな方が多いので若干、ナルシシズム感が
出ちゃうことがあって、私はそれが耳に触る性質なのだが、この方はそうではなかった。
また他で芭蕉をやるときにはお願いしたいと思ったくらい。
前もって原稿をOさん経由でお渡ししていたのだが、かなり読み込んで下さっている。
実にしっとりと芭蕉精を演る雰囲気を作ってくださった。本当にありがたい。
みなさん、芭蕉精のお話は理解していただけただろうか。
きっかけの文章が出てきて、ゆっくりと登場。
とにかく1曲目はしっとりと、と自分に言い聞かせながらスタンバイ。
最後にやった時、その頃は何度もあちこちで芭蕉をやる機会があったのだけれど
イズミに「だんだん芭蕉が男っぽくなってる」と言われていたのだ。
もとより自分では「こういうふうに」と演じて踊っているわけではない作品だったので
その時期はきっと自分自身が男っぽくなっていたのだろう(爆)
今回、芭蕉からずいぶん遠ざかってからの再演。今までとは少し何かが違う。
自分でもよくわからないけれど、芭蕉との間に前には感じなかった距離感がある。
さて、それが吉と出るか凶と出るか。
1曲目はとりあえず「をんならしさ」を前面に出そうと心掛けた。
伏し目がちで、やわやわと、まるくまるく。
2曲目はとにかく芯の通った踊りであるように、と。こちらは別段、違和感はない。
ただ、今回の芭蕉がどう見えているのかは自分ではさっぱりわからない。
いけてるとか、いけてないとか、そんな言葉にもなるようなならんような。
結局、自分が踊るときに客観視することは難しいのは毎度変わりない。
終了後、Oさんが「みんなシーンとして観てました」
そ、そ、それって。えとえとえと、大丈夫だったんですかねぇ?
まぁ、踊りとしては「楽しいダンス」ではないものなので、みなさん面食らったと
いうこともあるのだろうし、ね。
ただ、一つ実感としてよかったのは踊り終わって席に戻ってきたとき、隣におられた
お箏の先生が賛辞をくださった後に「実は昨年息子を亡くしましてね…」と滂沱の涙を
拭きもせず、芭蕉を見ていてそれを思い出していた、という話をして下さったこと。
芭蕉精は鎮魂の踊りであるので、私にとっては何よりも嬉しい事だった。
結局のところ、踊りは流れて消えてしまうものなので、観ている人が何らかの風景や
感情や記憶を揺さぶられたなら、それはそれでよかったのだろうと思う。
なんらかのイメージを喚起させる作品でありえたことで私がまた救われた。
今回、久しぶりに自分の踊りと向き合う機会をいただけて、本当にありがたかった。
協力してくれた3人もそうだし、急遽ビデオ撮りをお願いしたM田さんにも
ナレーターの方にも助けられて。シアワセ者だな、とつくづく感じた日。
みなさん、本当にありがとうございました。(って、私のパーティちゃうって)