さとうきび畑

自分としては「祈りを踊りにする」ということを天命と心得て作品創りしているので
この作品もその中の一つである。しかもみんなの力を借りてでしか創り得なかったもの。
昨年春に広島へ旅行に行ったことが発端。
自分には大勢の人が理不尽な形で亡くなってしまうという事象に心を寄せる癖があり
震災にせよ、戦争にせよ、何かしら自分が舞台をしていく上での社会活動というか
使命感みたいなものを感じている部分があって、これは師匠の影響だと思っている。
師匠のところからは様々な舞台人が排出され、今も一線で活躍している人間が多い。
師匠から受け取ったものはそれぞれが様々なものを様々な形で受け取っていると思うが
この経済活動からは切り離された、「文化」や「芸術」といえば聞こえがいいけれど、
単なる寄る辺なき浮草のような存在の一見すると戯言。
けれど私にとっては、舞台人こそ舞台からの発信をすべきというのが受け取った部分。
これを大切にしていかなければ師匠に会わせる顔が無くなる。
楽しいこともお笑いも自分自身に由来するこってり重いのも好きだ。
しかし、まずはレクイエム。これだけは外したくない、外してはいけないと思っている。
広島がなんで沖縄なの?と思われるかもしれないが、大戦のくくりとしてかな。
中、高の修学旅行で長崎に行き、鹿児島の知覧に行ったことも大きいのかもしれない。
ひめゆりはあまりにも有名だし、未だに荷を負わされている(私たちが負わせている)
沖縄のことはやはり心の片隅にこびりついているので。
それに歌が良かった。クミコさんの「さとうきび畑」が誰のよりも好き。
さらりと聴けるところがいい。その乾いた距離感がうまく自分の心情とマッチした。
そしてこれはある程度の人数が必要だったこと。ちょうど大阪組にONさんが加わり
男性が入ることになったことも大きかった。別にお父さん役ということでもないが
何となく流れがそうなって、結果的にはとてもインパクトがあったらしい。
当初は寝転んでいる人たちを「さとうきび役」歩いてくる人たちを「亡霊役」とか
ふざけ半分で呼んではいたけれど、その実全員が最終的にはさとうきびになるわけで
ここにこそ私自身の死生観が投影されているといってもよい。
みんな最終的には土に還り、風に運ばれ、または土壌となって養分となる。
「やがて微塵(みじん)」なのだ。
出演者には私の勝手な酔狂にお付き合いさせて申し訳ない事である。
まぁでも嫌なら辞めてっちゃうだろうし(笑)お付き合いいただいているということに
気を良くして、この先もこういった方面の作品は手掛けていこうと思っちょります。
どうぞ末永くよろしくお願いいたします〜。