ここからの練習

京都チームの練習は振付を2つほど残して仕上げの第一歩。
振付を覚えるのは、これはもう各自の責任なので覚えるための練習はもうできない。
考えなくても勝手に身体が動くようになるまで、とにかくやり込んでいくしかない。
とはいえ、私の振付自体ボキャ貧なので似たような動きがでてくるからダンサーも
混乱するらしい。ごめんよぉ。でも何とかそこは前後の流れの違いでがんばってや。
次々と新しい振付をしている間は、それまでに覚えたモノは忘れない程度に流して
やっているだけだった。そのやり方もそれなりに効果はあると思っている。
段々と身体に馴染んでいくからね。
でも、怖いことに間違って覚えているものが染み付いてしまうという側面もあるので
そろそろ一度「本当の振付はこうでしたよ」というのをやっておかなきゃね。
その上でダンサーにはそろそろ「本気モード」で詰めていってほしい段階にきている。
そんなに大げさなテーマを掲げてやっている作品はないが、「なんとなくやる」と
本当に「なんとなく」で終わってしまう。だろう。たぶん。
「本気モード」の周辺は指導する側が手を出せない領域だったりもする。
個人のイマジネーション。個人の作品構築力。個人の創造力。
あくまでも踊りは個人のものだから。
私自身に、つまり作品を創った側としての「理想の仕上がり」を問われると困る。
すごく、困る。理想は、そりゃ高く持とうと思えばとんでもなく高く持てるからさ。
でも踊る側としては丸投げされても困るのだろうな、ということも解かる。
ここからはそれこそ共同作業なのだろうなぁ。
踊る側からも何かを提示してほしいし、私も提示し、要求していかないとね。
しかし、雰囲気を教えるとか、ニュアンスを教えるのは果てしなく難しい。
どーしたもんじゃろか。
「それはセンス」の一言で片づけられたら、元も子もないもんな。悩ましいです。