らしい逝き方

甲南レッスンの日なので夕食の支度をしていたらスマホが震えた。
そこにはIさんから「Hちゃんが明日をも知れぬ状態になっています」との文字。
聞くと入院先はうちの真ん前の病院。とるものもとりあえず飛び出した。
Iさんはバレエ友達であり、レイワークスの公演にも出ていただいた方。
そしてHさんは広告代理店にお勤めだった方で私が踊りを再開する前に勤めていた
某茶房に出入りされていた。その店の広告を請け負っておられたのだった。
素晴らしく頭の切れる才女だ。でも話し方がほんわりしているので一瞬ダマされる。
ほんわりした口調で飛び出す言葉は本質を突いた辛辣なことばかり。
密かに(この人、政治家になればいいのになぁ。向いてるのになぁ。)と思っていた。
その後、私は出産して後1年はその店にお世話になっていたが、レイワークスを
立ち上げてからこっちは(一応)ダンスに専念する形になっている。
いつの間にかHさんはランチを共にする友達になっていた。
突然、電話やメールが来るのだ。「今日ランチしない?」空いていると付き合った。
ランチではほとんどが彼女の身の回りに起こることに話を費やす。
理の立つ彼女の言い分は痛快で、面白くて、たとえ愚痴だとしても苦痛ではなかった。
私が発表会をやり始めて忙しくなっていった頃、Hさんはバレエを始めハマっていた。
不思議なご縁でそこは私も通っていたMバレエだったので共通の友達が何人も出来た。
最後に会ったのはいつだろう。もしかしたら5年も前かもしれない。
付き合い始めて初めてと言っていいくらい、彼女はロマンスに包まれていた。
その幸せそうな口ぶり。女手一つで息子を二人も育て、しかも二人とも大卒。
もう立派に母親としての役目は果たし終えたと思ったし、ロマンスに浮かれても
罰なんか当たらない。よかったよかった、と言い合っていた。その矢先。
乳がんで入院し、闘病し、退院したと聞いた。
詳しい報告はなかったけれど年賀はがきのやり取りで元気そうなことに安心した。
お見舞いを贈ったのだったか、快復祝いも届いた。
なのに。
再発し、しかもそれが血液の方に出てしまったことも知らなかった。
みずくさいなぁ…。
わずか30分前に逝ってしまった彼女の手を握って心の中でつぶやいた。
犬の散歩でその病院の敷地に面する道路を通ると、いつも見上げる窓の連なり。
いつも(この窓にいま闘病中の人がいるんだな)と思いながら見上げていたけれど
その一角に彼女がいたなんて!知っていたら、と悔やまれる。
そのことを話すとIさんは「ごめんね、もっと早くに教えたあげてたら…」と
言ってくれたけど、もちろんIさんには何の非もない。むしろ感謝している。
彼女の最期に、教えてくれて、私を思い出してくれて本当にありがとう。
血縁関係にはあまり恵まれていないHさんの病室にはバレエ友達が駆けつけていた。
モルヒネを打っていたらしいから、最期、意識があったのかどうかは定かではない。
でも、きっと届いていただろう、みんなの声。それを聞いて本当によかったと思った。
話には何度も聞いていた息子(次男)さんと初めて会ってご挨拶できた。
そして彼女が病室で残したという闘病記録的なビデオレターの一部を見せてもらった。
そこには薬の副作用によってすっかり面変わりしてしまった彼女の姿。
でも、あのほんわりとして辛辣な内容の口調はそのまま。
全てのことに自分の納得を求め、見解を述べる。理解してからでないと受け入れない。
「Hさんらしい…」思わず微笑んでつぶやいてしまう。
現実は受け入れがたく、いまだに自分の中では未消化のままではあるけれど…。
そして、余計なお世話と思いつつ、その後の彼女のご家族のことも気になるけれど。
大好きだったバレエを彼岸で思う存分踊ってね。ご冥福をお祈りします。