発表会について(2)

「楽しさ」とは何か。
それぞれの立ち位置や考え方、大きくは生活の背景に照らし合わせられるものなので
一概に「これが楽しさです」と断言することなどできないだろう。
人によってまちまちなもの全てを網羅することなどできない。感覚も個性だから。
そこで私自身は踊りと言うものの枠組みを持ちつつもエンタテイメント化できないかと
考えるに至った。
もちろん理想としては「踊り一本で勝負」をかけたいところだが、それは難しすぎる。
上を目指せばキリがない世界だし、そこまでの技量も経験も足らなさすぎる。
単に奇をてらったものをしても痛いだけ。それに実はこう見えて私は暗い(笑)
嗜好性がかなり偏っている、と自分で思う。
今では周りにも「けったいなひと」が多くなった(ルイトモっていうな)ので
さほど差異を感じないが、割に最近まで(あれ?私だけ?)と思うことが多かった。
不思議ちゃんというほどの離れ方もせず、かといって草間弥生オノ・ヨーコほどの
強烈な個性として容認していただけるほどの感性でもなかったが異質だと感じていた。
だから自分が面白いと思っても世間の人には面白くないんじゃないか、という
疑心暗鬼は常に付きまとう。今でもだ。
そんな自分がプロデュースする発表会。「楽しい」発表会。…ってなに?(殴)
私自身は、だ。
ファンタジーというのではないが、観ていて異次元に連れていってくれるようなものが
断然好みである。目の前で繰り広げられていることを観ながら自分の思索を展開し
様々な感情や感覚や夢や希望や恐怖や絶望を感じさせてくれるような空間。
詩の行間にも似た無限大の宇宙を感じるようなもの。
別段、ダンサーが超絶技巧でなくてもよいのだ。
それよりも創り手の精神性の高さや思考の深さを感じられるものが観たい。と思う。
久しく、そういうものにお目にかかっていないなぁ…。寂しい。
さて、それはごくごく個人的な意見だし、自分が創れるかと問われれば土下座して謝る。
そうでなければ、もう振り切ったエンタテイメントがいいな。
とはいえ、これにも好みがあって、どういった種類の、と問われると難しい。
普遍的な笑い、のようなもの。風刺の効いたもの。そして愛おしくなるもの。
もしかしたら超絶技巧より難しいのかもしれない。
「楽しい」って難しいなぁ。