発表会について(1)

7月は実にいろいろな発表会を観に出かけた。
中には出演者のほとんどがプロに近いところもあれば、最近始めましたという
暖簾を下げて板に乗っている人が多かったところもあった。
発表会と言うものは観ていて楽しい、と最近思う。
以前は自分の視点自体が狭小だったためか、好き嫌いも激しく、特に発表会などは
「できれば観たくない」という、指導している割に愛情のない意見の持ち主であった。
しかし半ば強引に井戸から飛び出し、世界が大海そのものであることを知った蛙は
かつて自分を取り巻いていた世界そのものがごく一部の限られた井戸であり
そういった井戸がこの世には腐るほどあることを知り、潜在的に知っていた「自分は
単なる井の中の蛙である」という意識を強固なものにした。
しかし「踊る」ということについての、言葉にはならないけれど明確ななにものかが
あるということ、そしてそれはどうしようもなく先天的なものが大半であることを
これまた自分の中に確固たる意識として植えつけることとなった。
それを認識してから世間にたくさんある井戸を覗くのがとても楽しくなった。
あなたもわたしもカワズですね、とエールを送りたくなるのかもしれない。
そんな蛙、ここなら飛び込みたい!と思える井戸はなかなか見つからない。
それぞれの井戸には大体一人か二人黄金の蛙がいたりする。
それを見つけるのも楽しい。
反面、それらは基本的に自分一人だけが持つ感覚の意見であることも承知だ。
けれどもここ最近では、一緒に観に行った人達の感想を聞いていると
あながち自分の感じ方も的外れではなさそうと思うようになったので、良かった。
さて、顧みて自分。
色々な発表会を観る以前から、発表会に対する定義らしきものにこだわっていた。
それは「客席で退屈している自分」を何度も認識させられるからに他ならない。
知り合いが出ていたなら視線と意識はそこへ集中するので概ね退屈しない。
ただほとんどが全然知らない人が舞台に乗っているわけで、その人そのものの魅力や
踊る力や魅せる力がなければ、もうそれは難行苦行でしかない。
ひたすら時間の過ぎ去るのを待つ、という無為。疲れる〜。ま、だから発表会なのだが。
これがプロであって、高いお金を払って観に行って退屈だったら暴れるよね?
しかし最近。うちもそうだが、発表会が有料であるところも増えた。
無料、有料の差はずいぶんと大きい。
無為な時間を過ごすにしても無料なら「仕方がない」で済ませることができる。
だって、発表の会なんだもの。一生懸命やっているほうが主役なんだもの。
けれども、一旦これが有料となればそうはいかない。
その設定された値段なりの、何かを制作側は提供すべきであると思うし、払う側は
その分の何かを要求してもいいのだろうと思う。
とはいえ1000円分がこれくらいで3000円ならこれくらい、と言うのも個人的な感覚だ。
けれども、絶対に何かは必要だろう。
何か、とはなにか。
それは制作する側の指針、方針によるところが大きいと思う。
ひたすら真面目なダンスもありだし、先鋭的なものを並べるのもあり。
芝居がかっているものもありだし、美術館的な見た目重視のものもあり。
衣装に凝る、構成に凝る、ダンサーそのもののグレードにこだわる。…etc。
挙げていけばキリがないけれども、レイワークスでは「楽しさ」にこだわりたい。
別段、楽しさは「お笑い」ではないということは重々承知の上で。だが。
次はそのあたりについて考察してみたいと思う。(大げさ!)