そうだったのか

叔母から手紙が届く。
この前、初めて自分の系譜を教えてくれた大阪の叔母(亡母の妹)だ。
高齢者仕様のデカ太文字にて記してあったのは、お願いしておいた従妹の連絡先など。
そして、わたしが知らなかったことも(また)書かれてあった。
母は父と8歳違いで、姉さん女房であったのだが。
私は母が31の時に産んでいる子供である。その当時としては晩婚だなぁと思っていた。
その実、母は再婚だったそうである。つまり私には異父兄妹がいるということらしい。
しかも3人も。てことは私は4人目の子供なのである。
私の下には生まれるはずだった子が一人いたので、本当は兄妹が沢山いるのらしい。
最初の人とは死別だったそうで、その兄弟がどこでどうしているかは不明だ。
死別で離婚したとのことである。
その兄弟たちは母が引き取っていなかったから、父方の家の人が育ててくれたのだろう。
ただ相手は京都の人なので、もしかしたらどこかですれ違っている可能性は高い。
そして、私の両親が離婚したのち父には子供が2人出来ているので、私はその子供とも
血を分けていることになる。
…えらい兄弟姉妹多いですやんか。一人っ子だったと思っていたのに。
ま、産みの母と父の間には確かに私ひとりではあるのですが。
なんつーか、ま、もう、どうでもいいや(笑)
でも、もしかしたら自分に似た人って、兄弟かもしれない可能性があるのは面白い。