さよならタンツ

アイホールを後にしたその足で今度は新大阪のメルパルクホール
どうして重なってるかな。ハードにも程がある。相変わらずの三都物語
メルパルクで催されたのは「スタジオダンスタンツ・ファイナルコンサート」だ。
ダンスタンツは難波の駅近という好立地な場所にあるダンススタジオだ。
主宰は村川律子氏。初めてお会いしたのは関西ジャズダンスフェスティバルの3回目。
「気鋭の」という言葉がふさわしい実に尖がったセンス溢れる踊りを創りだす人だった。
思えば私は10代の終わりだったけれどリツコ先生も若かったよ。
でも私には「先生」の立場の人なので、わずか8歳くらいしか離れていないという
感覚はまったく持てなかったし、そのトンガリ具合にずいぶん心惹かれたものだった。
今でこそ言えるが、もし私が大阪在住だったらあのスタジオへ足繁く通っていただろう。
でも、その時は既に時遅しというか。
既に研究生だったので他のスタジオへ移るなんてことは許されるはずもないし
また自分にそんな勇気もなかったのであった。
当初、リツコ先生の作品を体現するダンサーとして一番表に立っていたのが
ミカヨちゃんこと森美香代氏とアッコちゃんこと安川晶子氏。
アッコちゃんとは顔を合わせると少しおしゃべりする程度だが
ミカヨちゃんは結婚したのも出産したのも同じ頃、という何だか似通った境遇があり
活動内容とレベルに天と地の差こそあれど(笑)ママ友ダンサーとして
お付き合いをさせてもらっている。
二人がリツコ先生の創った作品と共に舞台に降臨した時の衝撃ったら。
それまで周辺には、それなりにテクニックもあり、自分のところには友子先生も
いたのだから、そういうダンサーという人達を知っていたつもりだった。
けれどもその二人は身体のキレ、テクニックなどを備えた上に、
なんというのか二人にしか出せない空気感をそれぞれが持っており、またその作品を
創りだしたリツコ先生と言う人は一体どういう人なんだろう、と思ったものだった。
それまで、いわゆるアメリカ産ジャズダンスブームの中にあって、そのヨーロッパ的な
哲学のビシっと通ったような気配を纏っている作品を観て衝撃を受けなかった人は
居なかったはずだと思う。特にそれぞれのスタジオの先生方、は。
もちろんそれぞれのスタジオにそれぞれの特徴もあり、いわゆるヅカ系であったり
大量のダンサーが右へ左へと動くようなスタジオであったり、バレエ系etc…。
今思えばその時我がスタジオはいわゆる直輸入系ではあったし、その後は師匠の
世界観を表現する系に舵を切ることにはなるのだが、当時タンツの登場は黒船だった。
使われる音楽もいわゆる80年代輸入ポップスやジャズ、R&Bが主流だった中で
黒船はなんと吉田美奈子を投入。そこへ行くか?のマイナー路線である。
その後も井上陽水だったりAONだったりといちいちツボだ。
そんなリツコ先生、どうやら股関節を人工に替えたらしい。
きっと自分が自分で思うこととできることがかけ離れたショックもあったのかしら
とそれは邪推に過ぎないが、30年間創り続けてきたスタジオを閉じることにしたとか。
このお知らせもミカヨちゃんからいただき、これはもう何としても行かねばならぬ。
舞台はアッコちゃんの作品から始まった。う〜ん、この人もトンガリ続けている。
何度もアッコちゃんの作品は見させてもらっているが、どんどん厚みが増している。
面白い。そして究極に破壊的である。
どうしてこの人はこんなに自虐的なのかとさえ思う(笑)
全てのいら立ちや焦りやネガティブさが自分自身(ダンサー自身)に向かうのだ。
若い時からそうだ。アッコちゃんの作品はいつもどこか破壊的である。衝動的。
後は私の好きなKURYちゃんの作品やフロムAの佐藤知子氏が創った作品なども並ぶ。
そして第一部の最後にはミカヨちゃんと、その生徒さんたちで創る祝祭の作品。
ターコイズ系の色のふわっとしたジャージ素材のワンピースには両側にポケット。
足元はロイヤルブルーな膝丈スパッツ。そしてポッケにはピンク色の紙ふぶき。
そこまでガツンガツン系のダンスあり、モダン系のダンスありだった空間が
一瞬にしてミカヨワールドに変わった。
優しい空気が会場を包み込む。舞台上で花びらが舞うその美しさ。happy感。
これ、いっちばん最後でもよかったんじゃない?と思ったものだ。
第一部の最後だから休憩をはさみ第二部が始まる。
第二部の目玉は終盤にあるアッコちゃんとミカヨちゃんのデュオ。楽しみだ。
斉藤ダンス工房主催のサイトウマコト氏もタンツの発表会では痛い役柄を
自ら買って出ている節もあり、今回も(笑)
彼が創った作品の最後には「ぐるぐるぐるぐるグルコサミン」ダンスが混じり
それまで重めの空気だった会場に失笑が漏れる。いや、立ち位置的にOK!です。
そして遂に二人のダンス。ただ、これ振付がリツコ先生じゃなかったのね。
私としてはあの衝撃のデビュー作「Black eye lady」を再演してほしかったな。
それでもこの二人はこの二人で。その対照的なまでの個性の違いがイイ。
そして同時代を駆け抜けた感のある私は個人的に来し方を回想していた。
二人は私よりも3歳ほど年上のはず。それでもまだまだあそこまで踊れるんだものね。
私も頑張らなくちゃな〜としみじみ思った夜。
この後、リツコ先生は朗読の講師をしたり、タンツそのものは「ドラマティック」
という名前の貸衣装屋さんというか、販売も手掛けることを始めるらしい。
ただ、難波のスタジオは本当に閉じてしまうので、もしかしたら次にあの辺りを
通りかかった時には飲食店かなんかに変わっているかもしれない。
寂しいね。でもその潔ささえもリツコ先生らしい、と思えるのだった。