今、明かされるルーツ

大阪のレッスン後、何年ぶりかで大阪の叔母と会う約束をしていた。
この人は私の亡き母の妹である。おばちゃん、いくつになってはるんやろう?(71だった)
南堀江に住んでいるのだが心斎橋まで出てくるという。大丸前で落ち合うことにした。
うちの母は昔の人なので7人兄弟姉妹である。
母はちょうどど真ん中。今はもう長兄も次男もいない。
長女である叔母は京都の二条に住んでいるが病弱で何かあってもおかしくない歳だ。
昔はよく行き来もあったが、なんせ家庭事情が複雑なのでそんなに頻繁には会えない。
どこもそうだと思うけれど、親同士、つまり兄弟は仲が良くてもその子供たちに
親世代ほどの交流があるかというとそうではないこともままある。うちもそうだ。
先ごろ母の命日の折、義母が「アンタ、お母さん33回忌とちゃうか?」というので
いや、たぶん違うと思う、と言いつつ不安なもので二条の伯母に連絡を取ろうとしたら
何度かけても電話にでない。まさか…。いや、それならさすがに連絡はあるだろうし。
ということで大阪の叔母のところへ連絡を取り付けたのだった。
結局、二条の伯母は腰の具合が悪く、自分で身の回りのことができないので
良くなるまでケアセンターでステイしていたらしいことが判明し一安心。
それにしても、この世代の叔父叔母が居なくなったら墓のことやら、
その他のことはどうしたらええのん?ということに思い当たり、なんとか叔母が
元気なうちに色々なことの一切合財を聞いておかねば、と思ったのだった。
「別に難しないで〜」と叔母はあっけらかんと言うのだけれど。
大阪の叔母は明るい魅力的な人である。長女の二条の伯母は物静かで神経質。
あ、神経質だけどイライラする感じの人ではない。繊細なのだ。
うちの亡き母は破天荒、というか直情型。よりによって一番エキセントリック(笑)
小さい頃、いとこが羨ましかったよ。今だから言うけど。
長女も三女も下戸なのに、なんでうちの母だけが大酒呑みなのか…恥ずかしかったさ。
それも今は昔の話。最近では覚えている母の顔も微妙に怪しい(笑)
もちろん忘れはしないけれど日々の表情みたいなものは微妙に忘れるよ。
写真の顔と混ざったりね。48歳の時のままなんだし。もう追い越すっちゅうねん(笑)
でも二条の伯母や大阪の叔母を見ると確かに、こう、なのだと感慨深い。
母も生きていたら77だ。それに姉妹だから顔も系統が同じ。少しは私とも。
肝心お墓の話はさておきになってしまい、やはり会ってなかった年月を埋める話に
なってしまう。前回会ったのは叔母の二男が結婚するとき。
その頃は私も結婚した直後くらいだったかな。聞くと子供が同い年同士だ。
ほとんどが叔母の話ばかりを聞いているような感じだが興味深い話ばかりで面白い。
叔母の旦那さんは若くして肝臓ガンで亡くなられた。うちの母の少し後だったように思う。
そんな昔話のあれこれや、特にうちの母にまつわるあれやこれやは知らないことも
多かったし、子供だった私にはあえて話していなかったことも多かったのだろう。
それもさることながら、私の母の旧姓は「生瀬(なませ)」というのだが。
あまりない苗字である。
あの俳優さんね。あの人とは遠縁にあたるそう。まさかとは思ってたけど…。
そういえばあの方、もう亡くなった二男の伯父に似ているのよね。
「そやろ。どんぐり眼でデッパやろ(笑)」…うむ。
それから、ここには書けない秘密のルーツまで明かされ、私は椅子から転げ落ちそうに
なりましたとさ。そんな血が流れているなんて、思いもよらなかった。
…こんな公共の場所ではよう言いません。知りたい方は直接お尋ねください。