『私歩』を観て…舞台

初めて見せていただいた舞台は、とても面白かったです。ダンサーは僅かに4人。
真木さんと、Mちゃんと、真木さんの娘のカヨちゃんと、もうお一人。
いわゆるフリースペースでの空間を取り囲むようにして椅子を配置してある。
中央にポリ袋の長〜いやつが垂れ下がっている。空調の風に揺られる。
その中に真木さんが入り動き始めるところから作品は始まる。
何か意味があるのかと思ったが、そんなに深い意味はなさそうだ。
プロローグである。単なる演出である。見え隠れする肉体。
もどかしくもあり、これから始まる物語へ向けての焦らしでもある。
そのポリ袋(っていうな!)が取り払われる事によって始まりとなる。
露わになる、という示唆であろうと思う。
偉そうに言わせてもらうと、このくらいの思わせぶりがちょうどいい。
これより多いと、あれは何やったん?と思ってしまう人が続出するだろう。
作品はプログラムによると「わたし」が主役だそう。
とりもなおさず「わたし」はダンサー自身であり、観客一人ひとりでもある。
見えるようで見えない姿。かつて知っていたはずの知らない人がそこにいる感覚。
初めは、その全盛期と変わらない動きに目を見張りつつ、懐かしく見ていたし
その頃には見たことがなかった真木さん自身から派生される動きを心情と共に
解読しながら見ていたけれど、その内にいろんなことはどうでも良くなってきた。
わたしがわたしたちになったり、わたしとあなたになったりする。
大きな括りで言うなれば人の一生みたいなものが根底に流れている。
こうやってボーッと見ている間にも舞台の方はどんどんとシーンが進んでいき
カラフルな振付やモノトーンの振付やバレエっぽいものジャズっぽいものなど
硬軟取り混ぜての飽きさせない展開。
…飽きさせないというのはすごいことだと思う。
こちらがボーッと見ている間に行われている振付は一体どれくらいの制作期間か。
それを思うと集中して漏らさず、作者の意図を読み解かないと!と思うのだが。
つい昔のことや今のこと、自分のことを引き合いに出して考えてしまっていた。
若い二人はテクニックも素晴らしい。
もちろん真木さんはかつてと変わらない動きで素晴らしいし
Mちゃんは彼女の人生における紆余曲折を少しばかり知っているだけに
彼女がそこにいて踊っているだけで胸打たれるものがある。
でも、それは個人的な感傷だろう。
そんなこと抜きでも彼女は実にしっかり踊っていた。
上段からの見方で申し訳ないけれど、上手くなったよね、と本人にも伝えた。
私自身は新しい真木さんを見ている気がして、懐かしいような、でも初めて見る
真木さんの内面を覗いている気がして、とても面白かった。
一緒に行ったイズミは「同じ骨の使い方やな」と言う。
骨の…身体の、じゃなくて?まぁ、より芯に近いところという意味なんでしょう。
それも渡辺メソッドなんでしょうか。それを思うと師匠恐るべし、である。
終了し、真木さんのご挨拶タイムが設けられていた。
どうやら毎公演でやっておられるようだ。
ご自分のダンサー歴や来し方、周辺の方々への感謝の言葉をかいつまんでのお話。
グッとくるよね〜。こういうのは…すごくいいけど、賛否両論だろうな。
でも、真木さん自身が周りの方を大事にされ、
また周りからも大事にされているのがすごく良くわかる。
この秋、私自身がソロ公演を考えているだけに、勝手にシミュレーション。
あぁ、私には無理!喋るの無理!こんなん、喋らずに泣いてしまうわ!(笑)
かつての仲間に囲まれた真木さん。「なんかスゴない?これ」と仰る。
うん、確かに。でもこうして顔を見られるのもみんなが踊りを忘れていない証拠。
それほどまでに踊りという世界には魅力が溢れているのだわ、と再認識。
細々と切れることなく繋がっている糸。切らなければ切れないのだなぁとも。
いずれゆっくりと色々お話させてもらいたい。
良い舞台を観せていただけ感謝です。次の舞台にも是非足を運びたいです。