『私歩』を観て…回想

天満のドーンセンターに真木ひろみさん演出、振付の舞台を観に行く。
そこで踊っているMちゃんから案内を…今まで何度も貰っていたのだが
いつも何故かしら予定が合わずで、これが初見の舞台となってしまった。
いつもいただいている案内にはテーマ的に何やら共通項めいたものがあって
ずっと気になっていたのだった。近くて遠い、遠くて近い感覚がここにも。
真木さんは私の憧れだった人。足腰が強靭でテクニックがあってクール。
クールな持ち味はそのアカデミックさに由来しているものだったが、
実はとても情感豊かで愛情深い人…だと思い心酔していた。
真木さんはトモコダンスカンパニーに所属していた人なので先輩である。
もちろん同じ舞台にも立っていたが余り深く関わったことはない。
やがて真木さんが結婚することになりカンパニーを辞めることになった。
その後2人を出産し、ご自身もどっぷり主婦…になんかなれるわけないっしょ、
ダンサーだった人が。そんなん無理無理(笑)
ダンナとは別れられても踊りとは別れられないんやで、とは
失意の末、踊り辞める宣言をした私に真木さんが言い放った言葉です(笑)
私が結婚する時にお祝いをいただいたりしたこともあり、年賀状のやりとり等を。
その後、真木さんはお子さんの手が離れるようになってゆっくりと活動を再開。
それが10年前だったと記憶している。
その内にスタジオを立ち上げられ、方々で講師もなさっていることなどを知る。
その頃から真木さんがプロデュースなさった舞台の案内が届くようになった。
興味深いテーマ。
根源的なこと、生命の巡りのこと、生かされて在ることへの感謝など。
どれもどこかで見たことがある…のは自分の考えと近似だったからに他ならない。
かつては同じバーを持ち、バレエのレッスンを受けたりしていた人。
同じ作品で同じ振付を覚え、一緒に踊っていた人。
なのに全然知らなかったんだなぁ、という感慨が湧き上がる。
もちろん、それなりに年を経てきたからこそ、というのもあるだろうけれど
元々持っている指向性みたいなものは変わらないはずだし
寧ろ顕著になっていくような気もし。ま、それすら移り変わるのですが。
それに予期せぬ再会も伴いました。
そういう方の舞台ですから知り合いに会うかな、というのはあったけれど
まさか横に座るなんて思ってもみなかった。びっくりしたべ〜。
こちらもよく知っている顔。私の一期下の元ダンサー。今は踊っていない。
数年前まで、この真木さんの舞台に出ていたりしていたのだが、聞くと膝を痛めて
「もうダメですわ」と言っていた。うむ。感覚はわかる気がするけれど。
かつて踊っていた時の記憶は鮮明で、でも実年齢は過ぎて行ってしまう残酷さ。
自分で自分のギャップに苛まれるのよね。仕方がないのに。
それに無理して使っていた代償があちこちに出てくる頃でもある。
踊り続けようと思えば何とかして折り合いをつけないとやっていけない。
いろんな心持ちが痛いほどわかるけれど、ここまできたらハードルを下げて
踊ることは不可能ではないと思う、のだが。動くばかりが踊りでもないと思うし。
その辺の感覚も人それぞれだしねぇ。あまり踏み込めないところではある。
てな周辺の中、開演のアナウンスがあり、いよいよ始まる。