自分探し

ニットキャップシアター「Strange」を観た。
劇団始まって以来の横文字タイトルということだが深い意味は無い。
いや、知らん。もしかしたら深い意味があるのかもしれないけれど。
ストレンジは一般的には奇妙な、とか、変なとかの意味がある。
が、知らない、という意もあるのだそうで、今回はこっちだったかな。
通しの芝居だけれど3部構成になっている。
視点が垂直、水平、そしてそれらが交わる直角と変化していく。
最初はサッパリ。何が何やら。誰が主役かも解らない状態。というか主役は「彼」
事実と事実が交錯しながらも、演出の頭にあるカオス的世界が繰り広げられる。
私はこう見えても(?)ニットが立ち上がった時の舞台から観ているのだ。
歴代の劇団員をほぼ知っている。そのため「事実」はかなりリアル。
しかし、それは物語の一端がはっきりとわかりやすくなっただけで
そのリアルも徐々にごまカオスに巻き込まれる心地よさに変化する。
ごく個的な事実と、日本人のみならず世界も震撼した事実とが交錯する。
その上に立っていた劇団とごま氏個人。そして「彼」と「彼女」と「S」
いわば、ごく個的な体験をエンタテイメントに仕上げた感のある作品だった。
ノクターンだった猫」と系列的には同じ。
しかし、今回はもっと動的であったし、佐藤健大郎氏の振付もふるっていた。
劇団員が佐藤氏の動きに慣れたことも大きいのだろうか。
ノク猫や箱舟の時よりみんなの身体に馴染んでいる気がした。
ダンスらしいダンスはなかなか難しいけれど、コンテンポラリーは良く合ってるし
動きの派生の根本が解りやすく、ちゃんと自分の意思で動けている。
この部分は自分も振付をする立場として勉強になったところです。
黒木夏海さんの歌声が美しくてすごく良かった。
物語的にも一種の浄化を担っていたし、その前のSEからのバトンもイケてる。
そう、時折どこかへ行ってしまいたい衝動ってあるもんな。
それが現実逃避と分かっていても。
妙に共感しつつ、それがあの出来事がきっかけとなる辺りもすごく理解できる。
でも、一線を越えちゃうかどうかって…どこで分かれるんだろうなぁ…。
そんなことを思いながら、優しい気持ちで心がほっこりしました。
でも、ダンサーって舞台に出てきただけでダンサーってわかるもんですね(笑)
きっと、私もあんな感じなのかな?と「浮いている」佐藤氏にこれまた共感。
京都公演はアトリエ劇研にて火曜まで。年が明けて2月には東京公演だそうです。
『strange』|ニットキャップシアター 第32回公演