サガ、のようなもの

私は普段から思考があちら寄りだと思う。あちらってどちら?彼岸です。
というか、興味があると言った方が正しいのかも。
生と死の境い目のことが気になるし、また彼岸自体のことも考えてしまう。
その意味でいえばその時に自分がどう感じるのかが楽しみでもある。
でも、その事と人が亡くなって悲しいのは別。
それが知人であろうと全くの他人であろうと。
特に突然奪われてしまう形での死は形容し難い感情が渦巻くし
それは人だけにあらず動物に関しても同じ。または(動物は)それ以上。
911にしろ311にしろ理不尽な命の断たれ方、しかも無関係なたくさんの人が…
というのは虚脱感にも襲われるし、憤怒の感情にも見舞われる。
しかし、たぶん多くの「何かを創る人」は同じだと思うけれど
そう言った時に作品のベースが生まれるのも確か。
もちろん悼む心がそうさせているのだと思っているけれど
ある種、少し罪悪感を感じてしまうのも確かだったりする。
人の不幸だから創れるんじゃないだろうか、とか。
人に見せることを前程で創っていること自体なんだかな〜とか。
けれども少しでもそういうことを通じて参加したい意識とでもいうか
なんだかそんなものもある気がして…それ自体どうなんよ、と思ったり。
何だか自分の作品が人の不幸の上に成り立っているようで
そんなものをお金とって見せちゃダメなんじゃないの?と考えたり。
でも本当のこと、みたいなものってそこにしかないような気もして…。
皆さんはどうなんでしょうか。どうですか。