勉強とオリジナリティ

最近、自分自身が踊りと向き合う状態が少なくなっている気がする。
もちろん作品も考えているし、舞台にも立っているので
踊りから遠ざかっているわけではないけれど…なんだかね。
今までダンサーとして踊りを創る時は自分の引き出しから引っ張り出す一方だと
思っていたけれど、実は自転車のようなもので、踊りにアプローチすることが
自分の中に何かを育んでいくってことにもなっているのだと知った。
また、作者として振付をする時に毎度々々ボキャ貧に苛まれるけれど
これ自分の中の引き出しだけでは限界がある。
勉強、勉強だ。勉強が足りてないのだ。とちょっとばかり焦る。
しかし、だ。
オリジナルということを信条としていると難しいところなのだ。
オリジナルと言ってもベースには現役時代の様々な経験があるし
知らず知らず自分の中に蓄積されているものがあるはず。
でも「見る」と「創り出せない」と思うことが多々ある。
なぜなら「真似」とかひどくなると「盗む」ように感じるから。
だからあまり舞台、特に同じジャンルのダンスは見に行かない。
一度見てしまうとどんな手法であっても同じことはできないし
したくないし、してはいけないと思っている。
自分で思いついたことが他人とたまさか同じだったりすることもあるが
それは別段なんともない。おんなじようなこと考えるなぁと思うだけである。
自分から発生させることが自分の核だと思い込んでいる。
ゆえに常に苦しい。あぁ苦しい。
でも、何か思いついた時の痺れるような昂ぶりが、これまた蜜で…。Mやな。