もうちょっとです

娘の宿題もびわ湖ホールでの幽霊も、むろん9月の公演も。
昨日はみんなそろっての最終リハ。
まだリハ自体は直前にもありますが、出演者の事情があり揃わないので。
たぶんイケてると思うのだけれど、詰めればドンドンどこまでも詰められる。
難儀ですな〜、いつものことながら。
私はすでに見過ぎていて訳が分からない状態に陥っているのですが
リハの合間にいろんなことがありすぎて、却ってリセットできた目で見ることが
出来るようになっているのが何とも皮肉なような、恩恵のような。
いわゆるダンスの部分は演出的にはほとんど見ていません。
なぜなら、それは動きだから。
動きは美しく、破たんなく仕上がればそれに越したことはないです。それだけ。
最近、その程度のものだと自分が認識しているという事がはっきりしました。
というかダンサー側にもそれが浸透しているらしいことが、帰りの車での会話で
判明いたしました!
幾つかタイミングがずれたりしているところがあるにはあるのですが
私には「まぁエエんちゃうん?」でほったらかす癖(?)がある。
だって大筋に影響ないもの。
それにいくら修正したところで他にずれるところが出たら一緒だもの。
なんてことを思っているのはダンサー当人たちにはお見通しだそうです。
「〇〇さんの動きがちょっとずれているのは(どうせ)センセは言わないだろう
から自分達で直しましょ」てな方向にいっているらしい。
「うん、ズレてるのは知ってたよ」というと呆れられました。うひひ。ごめん。
みんなオトナで助かるわ〜。楽でいいなぁ〜。楽させてもらってるな〜。
正直、「踊りってナマモノ」だから当日の体調で少しばかり振りが上手くいかな
かったり、タイミングが少しずれたり…。
当然、そのようなことがないのが一番いいのですが、そこまで人間の感覚を
信頼していません。自分自身も含めて。
それよりも大事なのは、やはり「踊りきれたか」という心情だと思っています。
曲や人にタイミングを合わせて踊るタイプの作品なら、合わせることが踊りきる
ことに繋がることもありましょうが、残念ながら私たちのやってるのは
そういう作品じゃないですから。だから難しい…のか?
いやいや、そう難しくもないと思っていますよ。
それよりも個々が作品に対峙して考え、呻きながらも導き出した「動きの隙間」
を埋める動作や動きにこそ神は宿る。
その辺りが曖昧だと、やはり見ている側には「?」としての印象が残る。
若者たちには、その辺を度々指摘し、考えてくるように伝えました。
だから曖昧な部分は歴然と曖昧なまま残る…のが自分でもわかるように
なってきたようです。すごい進歩だと思いません?
もちろん大人たちにも言えます。
ただただ歩く場面が多い傾向にあるので、単に「歩く」ことに想いを馳せる。
想いの違いで歩き方や佇まいが変わる。本人の本物の部分が出てくる。
踊りは本当の自分が出る、というのは知られたところですが
若い子なんかは特に露呈しやすく。もう、まんま。面白いくらいに。
それをみて「そうや、この子はそういう子やな〜」と楽しんでおります。
もちろん大人も然りですが、大人はダンス歴が長いし、人生経験もあるので
ちょっくらちょっとでは見抜けない時もあります。
でも曖昧なところはわかるよ〜。気をつけなはれやっ!by チャンかわい
そんなこんなで楽しいリハーサルもあと数回。
思い残すことがない公演であって欲しい。
いや、少しくらい悔しさが残る方が、もしかしたら次回に繋がるのかしら(笑)
本番では全員が蝶になれますように。
蛹のまま越冬することのないようにと祈ります。